すべてのステークホルダーの幸せを最大化する。
それをエクイティによる突破で実現する
2005年、日本政策投資銀行(以下、DBJ)とあすかアセットマネジメントの合弁会社として設立されたのがあすかDBJパートナーズ(2013年にADキャピタルに商号を変更)。政府系金融機関による民間資本との合弁は話題を呼んだが、その後、2015年には伊藤忠商事、三井住友信託銀行も株主として加わった。翌年には商号もマーキュリアインベストメント(以下、Mercuria)となり、早々に東証第二部への上場も果たした。こうした背景や経緯だけでも、十分にユニークな投資ファンドと言えるが、創業メンバーであり、同社の象徴とも言える豊島氏は、Mercuriaの特長をこう語る。
【豊島】「我々は『すべてのステークホルダーの"幸せ"の総量を最大化すること』を目指しており、この理想を実現するために「実需のある事業」に随伴するエクイティとして私たちの存在意義があるのだと、本気で信じてここまできました。設立以来、『低流動性のオルタナティブ投資でアルファを追求する』というメッセージもずっと唱えてきました。流動性の無い非公開企業株への投資では、トレードで儲けるよりも、事業成長の視点が絶対に必要ですし、それには時間を要します。経済社会情勢の先行きが不透明な中、伸びる可能性を秘めた事業がそこにあっても、チャレンジをためらう要素がまだまだこの国にはあります。私たちはそこをエクイティの力で突破しようとしているんです。リーマンショックもありましたが、世界経済は確実に成長しました。『実需のある事業』への投資を基本にしてきたからこそ、私たちMercuriaはここまで独自の成長を果たしてきましたし、今後もそうしていきます」
Mercuriaには「中国および東南アジアを主とするクロスボーダーに強い」という印象があるのもこういう考えが背景にあったのだろう。これもまた、豊島氏が語った骨太の基本方針に見合った活動であり、その成果が突出しているがゆえに同社の高評価につながっているようだ。
【豊島】「ボーダーというのは何も国境のことばかりではありません。今の日本には壊さなければいけない固定観念、いわゆる心の壁がいたるところにある。さらに、高齢化社会が進み、"世代の壁"が大きな問題となっています。たしかに私たちはDBJから続く中国・東南アジアにおける優位性や、地道に築き上げてきた人脈・ネットワークをいかして、国境を越えた投資活動を盛んに実施していますが、"世代の壁"を乗り越えて、再創造していくために、事業承継案件にも積極的に取り組み、成果を挙げています。それもこれも、事業成長が原動力ですから、先ほど申し上げた『すべてのステークホルダーの"幸せ"の総量を最大化する』ための営みです」
バイアウトファンドとして大企業や中小企業、グロース事業投資として数々のベンチャー企業と向き合い、事業承継案件も多数手がけてきたMercuriaは、伊藤忠との連携を軸に、不動産・物流業界の事業変革を支援するBiz Techファンドも2019年に立ち上げた。同時に資産投資戦略の一環として香港にSpring REITを上場しているほか、2019年には伊藤忠エネクスとエネクスインフラ投資法人を上場させた。豊島氏が語った通り「国際的取り組み」としてのクロスボーダー、ボーダレスがMercuriaの特長なのではなく、それらを含めた「あらゆる壁を越えていく」営みを有言実行している唯一無二のPEファンド、それがMercuriaなのだといえる。
では、こうした特性や特質を持つPEファンドはどのような経緯で誕生したのだろうか? DBJ時代の話を豊島氏に聞いていくことにした。
あらゆる壁を越えていくMercuriaの姿勢は
枠にとらわれないDBJでの挑戦から生まれたもの
【豊島】「『金融力で未来をデザインする』というDBJのミッションに私は強く共鳴していましたし、そのために何をすればいいのかと常に考え、行動で示してきました。見方によっては型破りな人間に映っていたかもしれないのですが(笑)、組織内で出世するために奮闘する、というような価値観にはまったく興味がなかったんです。例えば1990年に私は不動産や都市計画を学ぶため、M.I.T.への留学を志願しました。背景にあったのは、当時の米国で多発していた貯蓄組合の不良債権処理問題です。CMBS(Commercial Mortgage Backed Securities 商業用不動産担保証券)、CMO(Collateralized Mortgage Obligation 不動産抵当証券担保債券)といった、流動化のスキームが動き始めた時期だったのですが、2年間M.I.T.で学んだ私が下した結論は『企業の未来がわからなくても、実需のある資産の価値は評価できる』というものでした。帰国した私が日本で目にしたのは、バブルの時に立てた安易な事業計画を止められなくなった企業の実態でした。この時、強く心に湧き出てきたのが『隠れているものの価値を見極め、リスクを見抜くのは無理でも、見えているもの、理解できるものへの投資ならば』という思いです。そうしてすぐに『日本市場に不動産流動化やプロジェクト・ファイナンスの考え方を導入する』と決め、立ち上がったんです」
既存の銀行業務とは大きく異なるプロジェクト・ファイナンス。契約書1つをとってもまったく様式は異なるし、デューデリジェンスをしようとすれば破格にコストもかかる。それでも「今DBJがこれをやらなければ」と立ち上がった豊島氏。かつて電力関連の投資案件でともに働き、当時は法務部門にいた小山氏に直接声をかけ「一緒にやろう」と呼び掛けたという。このチームから日本初のプロジェクトファイナンス、SPC法1号案件やCMBS1号案件などの流動化スキームが生まれた。
【豊島】「資産証券化の次に私が注目したのは事業です。私は会社というのは5つの階層で成り立っていると捉えています。法人格、株主、経営者、従業員、事業部門。この5つを明確に区別して因数分解のように問題を解いていくのが事業投資の基本だと考えているんです。例えば今Mercuriaが携わっている事業承継のようなケース。株主も経営者も高齢化している事が、事業展開の制約になっている会社は数多くありますが、事業そのものに明確な成長余地があるのならば、Mercuriaがバイアウトファンドを通じて、株主や経営の立場を譲り受けることで、事業の継続的発展に貢献していくことができます。逆に、会社としてはもう駄目になっていたとしても、その中に健全な事業部門が残っているのなら、それを切り出すことで貢献することが可能になります。因数分解を駆使することで『すべては事業のために。』という発想は今のMercuriaにおいても引き継がれています。」
今となっては、大昔から定着しているかのように見られがちな「事業再生」という言葉も、そもそもはDBJ時代の豊島氏の命名によるもの。日本初のプロジェクト・ファイナンスを始動させた豊島氏は、今度は日本初のDIPファイナンスを大手物流企業の再生案件で実行したのである。
その後、世界銀行で上級民間セクター専門官として従事するようになった豊島氏は、中国やベトナムといった冷戦後の体制移行国で破格の事業チャンスが広がっていることを目の当たりにした。「これから世界の市場は大きく様変わりする。しかも大きく成長する。日本はこのままじゃいけない」との思いを強くしたのだという。
【豊島】「日本は世界有数のモノ作り大国であり、いいモノさえ作っていれば世界の市場はそれを欲しがるんだ、などといつまでも言っている場合ではない。そういう危機感というか問題意識が湧いてきました。日本が持っている強みはもちろん誇らしいけれども、日本に足りていないものもたくさんある。それは何かといえば、エクイティだ、マネジメントだ。この2つにブリッジをかけ、世界に出ていく突破力を日本は身につけなければいけない。最初にお話した通り、国の壁、既存の常識にこだわりすぎる心の壁、世代の壁といった数々の壁を、エクイティの力で突破していかなければいけない。そう考えて、世銀からDBJに戻り、Mercuria(当時のあすかDBJパートナーズ)の創設に携わったんです。
事業を「ネタとして扱う」のではなく
「寄り添い、ともに成長していくものとして接する」
まさに、DBJ時代から自ら進んで金融界の既存の枠からはみ出し、押し広げた"クロスボーダーの人"。数々の"日本初"を実行に移してきた豊島氏が「言い出した以上は自分が形にしなければ」というコミットメントを追求し続けた先にあったのが、Mercuriaという集団であり、他のPEとは一線を画したビジョンとアクション。では、そんなMercuriaにとって、今後参画して欲しい人材とはいかなる資質の持ち主なのだろうか?
【豊島】「『事業に寄り添う』。その気持ちを何よりも強く持っている人物にぜひ参画して欲しいです。資本主義のもとでは株の売買で儲けることは当たり前の事です。ですから、『事業をネタとして扱う』人が多数いることも不思議ではありません。果てはビットコインのように裏付けのない記号であっても、トレードによってさやを稼ぐ人がいても、それをどうこう言うつもりはありません。ただ、株の裏側には事業があります。世界経済は確実に拡大していきます。Mercuriaには事業の成長を信じ、それに『寄り添う』ことに喜びを見いだす人が向いていますし、活躍しますし、成長できます。この世界に入ってくれば、学ぶべき事はたくさんありますが、学生の時と違って報酬をもらいながら学ぶわけですから、最後は成果を出さなければいけない。会社は何もあなたを成長させるためにあるわけではない。やるからには、投資先の事業成長に全力をつくす。それが成果につながる。その当然のことを『事業に寄り添う』ことで果たしていく。そういう情熱を持ったかたを待ち望んでいます」