CxOインタビュー 伊東 奈津子 氏 ティアック株式会社 執行役員 マーケティング本部長 CMO (2016.9)

ティアック株式会社 執行役員 マーケティング本部長 CMO 伊東 奈津子 氏

CxOインタビュー

伊東 奈津子 氏

1950年代に生まれたティアックは、群を抜く製品クオリティによって世界を席巻。
日本を代表する音響機器メーカーとなり、その後訪れたグローバル競争下で並み居る日本企業が苦戦を極める中でも生き抜いてきた存在だ。
2013年、同社は米国ギブソン社の傘下となったが、その翌年CMOとして招聘されたのが伊東奈津子氏。
米国ボーズ社の日本法人にて、長年マーケティングを担ってきた実績を持つ伊東氏だが、その前後には多彩なキャリアを有している。
はたして、どのような経緯でCMOへの道を志したのか、いかなる姿勢でマーケティングと経営の接点を担っているのか。
いつもの15の質問を通じて答えてもらった。

伊東 奈津子 氏
ティアック株式会社
執行役員 マーケティング本部長 CMO
https://www.teac.co.jp/jp/

広島県生まれ。大阪大学人間科学部卒業後、NTTに総合職で入社。3年後に外資系広告代理店へ入社すると、コスメ、スポーツグッズ等のグローバルブランドを担当。退社し、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院へ私費で留学してマスター・オブ・サイエンスの学位を取得すると、ボーズ社の日本法人へ入社。米国本社駐在も経験しながら、一貫してマーケティングを担当。マーケティング・ディレクターとなって関連領域全般の統括を担った。その後、フランスのグローバル・コスメブランド、クラランスでのマーケティング・ダイレクターを経て、2014年にCMOとしてティアック入社。同社のブランド再構築をはじめ、マーケティング基盤やリテラシーの底上げ等を担っている。

[1]自己紹介をお願いします

私は大学時代、人間科学部で主に心理学の勉強をしていました。就職に有利かどうか、ということとは無関係に、ピュアに学ぶことを楽しんでいたわけですが、いざ就職活動をする時期が来ると、結果、当時の就活生人気企業ランキングでナンバーワンだったNTTへの入社を決めました。そのころNTTはTVCFを中心にしたキャンペーンを大々的に展開していたこともあり、なんとなく「広告宣伝の仕事ができたらいいな」と思っていたわけです。

ところが入ってみると、総合職の社員は全員、3年をかけて様々な部門を経験していくという育成計画に投入されることになりました。当時の日本の大企業では珍しくない手法だったとは思うのですが、私はそれが納得できず、入社4ヵ月で退職願を提出してしまいました。今になって振り返れば、若気の至りとしか言いようがない行動ですけれども、それまで自分の意見を主張することもなく、親や周囲の大人が敷いてくれたレールを上手に走っていた優等生の、生まれて初めての自己主張でした。

結局、叱責されてもおかしくない事態にもかかわらず、本社の人事部長からも直々に「話を聞かせてくれないか」と言っていただき、いろいろと話をさせてもらいました。そして、こうした懐の深さに感じ入りながら、3年間仕事をさせていただいたんです。社会人として自立するうえで、とても貴重な経験をさせていただいたと今でも感謝しています。

それでも私の中に芽生えていた「広告宣伝の仕事を」という気持ちは変わらず、米国の大手広告代理店レオ・バーネット社の系列企業への転職を決めました。P&G、フィリップ・モリスなど、外資系大企業のクライアントを持つ会社でしたので、常に大規模なプロジェクトが動いていました。

そうした恵まれた環境のもと、私はセールスプロモーションやアカウントマネージメントなど、一連の仕事を覚えていくことができました。ただし、大きな挫折感を味わったのもこの時期です。自分が所属する会社も外資で、クライアントの多くもまた外資ですから、社内ミーティングでもお客さまとのコミュニケーションでも、基本は英語です。語学力の不足を感じるとともに、コミュニケーションそのものにおいても自力不足を感じ「どこかで思い切ったストレッチをしなければ」という思いが膨らんでいったのです。

そうして決意したのが留学です。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院を選択した理由は、社会心理学課程のカリキュラムを持つ数少ない場だったからです。留学を具体的に考える過程でビジネススクールへの入学も検討はしたのですが、大学時代から心理学を学んでいましたし、当時の私の最大の課題は広い意味でのコミュニケーション力向上でしたから、いわゆるMBA的な素養を伸ばす前に、まずはこの領域で成長を目指そうと考えたのです。

修了後に帰国してからの就職先を当たっていく上では、広告代理店も選択肢に入れていたのですが、最終的に米国の音響機器メーカーであるボーズの日本法人へ入社しました。「広告の仕事だけを専門にしていくよりも、事業会社の経営戦略にも関わっていけるような立場になりたい」という気持ちがこの頃には大きくなり始めていました。また、当時のボーズで日本法人の社長をしていた佐倉住嘉さん(現在はカタログハウス社長を経て同社相談役)と面接でお会いして、その経営哲学や人間味あふれるお人柄に魅せられたこともあっての入社でした。

このボーズで、私は10年以上を過ごすことになるのですが、入社当初から一貫してマーケティング領域の仕事をさせていただきました。米国駐在や、プロダクトマネージャーとして商品を担当する経験を持つなど、佐倉社長独自の発想でマーケターとして育ててもらう中、企業経営と結び付いたマーケティングの有りようとでもいうべきものもインプットしていくことができました。

また、2008年ごろまでのボーズはローカルを尊重しながら全体として成長していく路線でしたが、その後はグローバライゼーションを強めていく方向に変わりました。非常に大きな変化です。すでにマーケティング分野を統括する立場に就いていた私としても、試練の場であり、同時にストレッチの機会となりました。

また、この時期はマーケティング領域でもデジタル化へのシフトという大きな変化がありました。社内での経営変革が一定の落ち着きを見せ始めると「新たなチャレンジをしてみたい」という願望が強くなり、再度転職することを検討したのです。

そうして入社したのがクラランスでした。音響の世界からコスメの世界への転身です。ターゲットとなるエンドユーザーも男性中心から女性中心へと変わります。完全な異領域だと言えますが「製品に誇りを持ち、オリジナリティとクオリティにこだわる」という部分でボーズと共通していたのです。在籍期間は1年弱でしたが、多くのことを学ばせてもらいました。なにより大きな教訓は「どんなに異なる事業領域であっても、マーケティングや経営に求められるファンダメンタルは変わらない」と気づかされたことでした。

こうして2014年にお声をかけてくれたのがティアックです。音響機器メーカーという点ではボーズとつながるものの、私が長年生きてきた外資系ではなく、純然たる日本企業という違いがありました。それでもクラランスで得た「ファンダメンタルは同じ」という思いが背中を押してくれました。

また、厳密にいえば米国ギブソン社の傘下になってからのティアックですから、今後はよりグローバルを強く意識して使命を果たしていかなければいけません。ティアックが日本企業として紡いできた「良さ」と、楽器を主軸に置きながらライフスタイル提供企業としてグローバルな成功を収めてきたギブソンの「良さ」の双方を活かしていく。そのためのCMOとしてお声をかけてもらったことを嬉しく思いました。

ボーズ在籍時の後半、グローバルとローカルの双方の間に立って、苦しみながらも成長してきた経験を活かしたい、という気持ちになったのです。生み出すモノに対する愛情の深さ、真摯な姿勢という面からもボーズやクラランスのそれに通じます。「私でお役に立てるなら、ぜひとも」という気持ちでこの会社に来たのです。

[2]現在の社内での役割について教えてください

ティアックは、確かな技術力と哲学を持ち、実直に最高品質のモノ作りに徹してきた会社です。質実剛健ともいえる企業イメージは、世界的にもブランドとして知られています。私の役割は、そうした「良さ」を維持しつつも、これまでマーケティング的なアクションをあまりとらずにきた風土の中に、基盤となるものを築くこと。より積極的にブランディングしていくための地盤を作り上げることにあります。

まずは過去の業績や経営理念をじっくり見つめるところからスタートし、その上でギブソン社が強く志向する「ライフスタイルへの貢献」や「お客様視点に立った価値創造」との融合も考えながら、新たなティアックの理念を体系化していく営みを進めてきました。

一方、社内的な「マーケティングへの期待値、理解度」がバラバラだったこともあり、古くからいる社員の皆さんとの意思疎通や話し合いの機会を増やしました。共通した理解と期待を持ちながら、皆でマーケティング・リテラシーを向上していけるような場も作っていきました。短期間ではありますけれども、着実にその成果は現れてきていると自負しています。

但し、マーケティングという世界は、市場・競合環境、企業が迎えている状況や成長過程次第で求められる役割が大きく変わる世界でもあります。今後も、ティアックらしさを大切にしながら、この会社の「今」をしっかりと捉え、とるべきマーケティングのあり方を皆と共有しながら強化していく。それが私に課せられた使命であり、責任だと思っています。

[3]小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう?

典型的なおてんば娘だったと思います(笑)。兄が2人いることもあり、小さい頃から男の子同然に外で飛び回って遊んでいました。スポーツ好きで、運動会ではリレーのアンカーを務めていることが自慢でしたし、中学ではバスケットボールの部活に熱中していました。ただ、こういうことを自分で言うのもなんですが(笑)、成績もなぜか良くて、「おてんばなくせに優等生」という感じでした。

[4]高校、大学時代はどのような学生でしたか?

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高校でもバスケ部に入って、キャプテンもやりました。でも、それだけでは収まらなくて、サッカー部のマネージャーもしていましたし、チアリーダーもしていました。体育会的なことばかりではなく、競技カルタ、茶道サークル、バンド活動もしていました。学校自体は進学校でしたが、とにかくやりたいことは何でもやっていましたね。

それでも大学進学の時には、「私はいったい何がいちばん好きなんだろう」と考えました。出した答えは「人間が好き」。人間科学部という学部のある数少ない大学である大阪大学へ進みました。そうはいっても、入学後は勉強ばかりでなく、相変わらず複数のサークルに入っていました。合気道、テニス、スキー、スキューバダイビング、バンド活動などなど(笑)。企画イベントサークルにも入っていたのですが、スポンサーを自分たちで探してきて交渉する、という広告会社的な経験もしていました。

[5]ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか? その理由についても教えてください

大学時代のサークルでの経験や、冒頭でお話ししたような経緯もあって、なんとなく広告の仕事に興味を持っていたのは事実です。けれども、どんな仕事でも実際にやってみなければ、それが本当に好きかどうかはわかりませんよね。私が広告の仕事、ひいてはマーケティングの領域で生きていこうと本気で決めたのは、やはり外資の広告代理店に入って実務を経験し、「楽しい」と実感できた時でした。

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〈CMOインタビュー〉〜次世代プロ経営者のために〜。キャリアインキュベーションでは最前線で活躍するCMO、CFO、CHRO、CSO、CIOの方々のキャリアを紐解き「どうすればそれぞれの専門性と高度なマネージメントスキルを獲得できるのか」を探るCxOインタビューを連載しています。現在、ファイナンス・経営企画・マーケティング・IT・人事などで活躍している20〜30代の方々のキャリア形成にお役立ていただければと思います。
第1回目はティアック 執行役員 マーケティング本部長 CMOとしてご活躍の伊東 奈津子 氏にご登場いただきました。

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