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    <title>CxOインタビュー</title>
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    <updated>2025-06-10T02:17:58Z</updated>
    <subtitle>最前線で活躍するCXO、CDO、CTO、CFO、CHRO、CMO、CSO、CIOの方々のキャリアを紐解き「どうすればそれぞれの専門性と高度なマネージメントスキルを獲得できるのか」を探る！</subtitle>
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    <title>髙口 裕之 氏</title>
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    <published>2024-06-03T04:28:22Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:17:58Z</updated>

    <summary>［1］自己紹介をお願いします 現在、株式会社タネトシカケという自身のマーケティン...</summary>
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        <![CDATA[<h4><span>［1］自己紹介をお願いします</span></h4>

<p>現在、株式会社タネトシカケという自身のマーケティング支援会社を通じて複数の企業のマーケティングや経営の支援をしています。</p>

<p>マーケティングに携わるようになってから25年以上が経ち、外部からもマーケターとして少しずつ認識されるようになりましたが、もともと新卒入社したミツカンでは営業職からスタートしました。5年後にマーケティング部門へ異動したことがきっかけとなり、以来現在まで、マーケティングの分野での仕事を続けています。</p>

<p>ミツカンを離れた後は食品マーケティングのコンサルティングを行ったり、日系ファンド投資先の企業で代表取締役社長を務めたりし、2017年からの6年間は米系PEファンド投資先のおやつカンパニーでマーケティング本部長を務めました。</p>

<p>2023年8月から現職ですが、はなまるを含めて複数の企業や学校で社外取締役や顧問を務めたり、教鞭を執ったりと、兼業で仕事をしています。</p>

<div class="section">
<h4><span>［2］現在の社内での役割について教えてください</span></h4>

<p><img alt="CMOインタビュー:株式会社タネトシカケ 代表取締役 / 株式会社はなまる 企画本部 CMO 髙口 裕之 氏" src="/industry/cxo/interview/tanetoshikake/photo01.jpg" width="400" height="320" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

<p>はなまるでは、新たに組織を作って部下を抱えるということをせず、必要に応じてさまざまな部門やプレーヤーと私が直接対話をしながらプロジェクトを進める形でマーケティング戦略に取り組んでいます。</p>

<p>時代や人々の価値観が大きく変化し、人口も減っていく中で、今後継続的に成長していくための新しいはなまるブランドのあり方を皆さんと描くことが私のミッションです。</p>

<p>ただ、これまで複数の会社でマーケティング責任者を経験してきて分かったのは、マーケターとして"勝てる絵"を描くことは大事だけれど、みんなでPDCAを回していくことで「勝てるカタチにする」のが今の時代に合っているということです。正論を振りかざすだけでは必ずしも会社は動かず、皆さんがそれに同調してくれたり、納得してくれたり、協力してくれて初めてアウトプットできるし、質も高くなる。</p>

やはり私自身が一人の人間として皆さんと話をして、真剣にお付き合いをしていくことがとても大事だと思ったので、はなまるでは組織を抱えないというちょっと珍しいスタイルでやらせてもらっています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［3］小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう？</span></h4>

<p>小学校低学年のころはどちらかというと引っ込み思案で、神経質なところがある子どもでしたね。</p>

<p>私自身は宿題をきちんとやってくるタイプでしたが、「やってません」と堂々と手を挙げる子をうらやましく思っていたことをよく覚えているんです。そういうクラスメイトがたくましく見えて、自分もそうなろうと、わざと宿題を忘れてみたことも。</p>

<p>一方で体を動かすことも好きでした。小学校中学年でバスケに出会い、中学を卒業するまではバスケにのめりこむことになりました。</p>

中学時代は、神奈川県ではまずまずのバスケ強豪校だったこともあって、部活のために学校に行く、学校に着いた瞬間にもうお腹が減ってる、といった典型的な運動部男子でした（笑）。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［4］高校、大学時代はどのような学生でしたか？</span></h4>

<p>高校は法政大学の附属高校でした。足首の怪我によりバスケは断念したものの、体を動かすことは変わらず好きでしたので、近所にあったジムに通い詰めて、そこで出会った大人たちと話をすることを楽しんでいました。学校が終わったらまっすぐ家に帰るというタイプではなく、クラスの友達とよく遊びに出かけていましたね。</p>

<p>大学はそのまま内部進学で法政大学へ進みました。入学したのが経営学部なので、「当時から経営やマーケティングに興味があったんだな」と思われがちなんですが、当時はマーケティングの「マ」の字も知りませんでした。</p>

<p>ただ、大学時代のアルバイトの経験は、今振り返ってみれば、その後のキャリアに大きな影響を与えたと思っています。</p>

<p>渋谷の中心地にあるとてもにぎわうレストランの厨房スタッフとして働いたんですが、ひっきりなしに注文が入るのを、どうやって効率的に調理するか、滞りなく料理を出すにはどうすればいいかということを頭の中で考えることがとても楽しかったんですね。</p>

「盛り付けをこう変えてみたら、もっとお客様に喜んでもらえるんじゃないか」と工夫してみるとか、何かを考えて、やってみる・出してみるということが好きでしたね。</div>

<div class="section">
<h4><span>［5］ご自身の専門性をいつごろ決められたのでしょうか。それは何故でしょうか。</span></h4>

<p>マーケティングに携わったのは、新卒入社したミツカンでの部署異動がきっかけでした。自ら志望したわけではなく、急な辞令によるものだったんです。</p>

<p>最初は、それまで従事していた営業との違いに戸惑うこともありましたが、当時私と同じように営業からマーケティングに来た先輩からかけられた言葉をよく覚えています。</p>

<p>「営業は自分が主体となって売るが、マーケティングは、人を使って売らなければならない。だから難しいけど、それができるようになったら、もっとスケールの大きい仕事になるよ」って。</p>

<p>確かにそうだなと素直に思い、どうせなら今までと違う視点も学んで、できるようになって損はないなと考え方が切り替わり、マーケティングの仕事をちゃんと直視するようになりました。</p>

営業職時代は、中間流通企業に売った時点で売上になるので、それで終わりというところがありましたが、マーケティングはそこで止まらずに、エンドユーザーがどうやったら買いたいと思ってくれるか、どうやったら食べてくれるかということにフォーカスしなければなりません。マーケティングに出会ってから少しずつそういった視点を持つようになりましたね。</div>

<div class="section">
<h4><span>［6］専門的なスキルをどこで獲得されたのでしょうか。</span></h4>

<p>私はマーケティングについてあらかじめ学んだり、セオリーを知ることなく、いきなり実践から始めているんです。体で覚えた、という感覚なのですが、後から振り返ると、ミツカンでのべ10年以上、どっぷりマーケティングをやらせてもらったのが今の私の資産になっています。</p>

<p>それに加えて、ミツカンは当時としては珍しくいわゆるブランドマネージャー制を取っていて、前オーナーはブランドやマーケティングを重視される方でした。報告の場でもロジカルさが求められたので、数字を使ってロジカルにものを考えたり、建設的に論理を組み立てたりするスキルも、すごく身についたと思います。</p>

ただ、一方で、「この考え方は我流だから、どこかおかしいところはないだろうか」という不安な思いもずっとあったんです。なので、グロービス経営大学院へ行って理論も学びました。最初はマーケティングに関する科目だけを受講していましたが、最終的にMBAも取得するに至りました。</div>

<div class="section">
<h4><span>［7］リーダーシップやマネージメントに関する経験やスキルはどこで獲得されたのでしょうか。</span></h4>

<p>経営やマネージメントに意識が向くようになったのは、やはりミツカン時代です。</p>

<p>自分が担当するブランドのP/Lを見て、売上を上げてコストを下げ、利益を出していくという視点を養ったのですが、よくよく考えると「これって経営だよな」と気付いたんですね。ブランドを会社に見立てると、ブランドマネージャーを務めるマーケターは社長だな、と。</p>

<p>そこから経営やマネージメントに興味を持つようになり、みりん・たれのブランドマネージャーを歴任したあと、関東エリアの営業管理を行う役職に就き、再びマーケティングに戻り食酢の統括をしました。</p>

その後個人事業や、社長、CMOなど、さまざまな場所でチームを動かす経験も重ねてきました。</div>

<div class="section">
<h4><span>［8］キャリアの転機があったとすればそれはどこでしょうか。</span></h4>

<p>ミツカン時代に自分が関わった商品がおかげさまでよく売れたのですが、その直後から、転職のお誘いの声がかかるようになった時期がひとつの転機だと言えると思います。</p>

<p>それまでは普通のサラリーマンとして、自分で仕事を選んだり、私個人に仕事を頼まれたりすることはないと思い込んでいたので、スカウトメールがいくつも届いたことにとても驚きました。</p>

<p>そういうことができるのは、本当に能力のある一部の人のみであって、絶対に自分には無理だと思っていたんですが、「マーケティングは経営にも近いし、これを突き詰めていけば、ひょっとすると仕事って自分でも選んだりできるのかな」と思うようになりました。</p>

実際にミツカンを出て転職するのはそこから約10年後なのですが、キャリアへの意識を転換する機会にはなりましたね。</div>

<div class="section">
<h4><span>［9］試練やストレッチされた経験をお教えください。</span></h4>

<p>自分の中でとても印象深いのは、2014年に日系PEファンドの投資先に移ったときですね。ファンドは会社を買ったり売ったり、上場させたりするので、自分の決断が会社の所有権に関係してくるわけです。ファンドが、その会社を売却する目的で買ったのだとすると、自分のハンドルの切り方が会社のあり方に大きく影響することが当たり前ですよね。</p>

<p>ですから、とてもダイナミックな経営感を味わいながら、重大な責任も感じつつ仕事をしたことは、マーケティングの考え方や、組織を作るということに対してのシビアさにつながりました。</p>

ミツカンにいたころは大きな動かない岩の上に乗せてもらっていたとすると、ファンドでの仕事は、「岩そのものを動かす人」になったようなイメージです。マーケティングは岩を動かすための手段であって、岩を動かすために何を考えて、どんな作戦立てて、どう社員を育成するかということを一つひとつ問われている感覚があり、独立的な発想が養われていったと思います。</div>

<div class="section">
<h4><span>［10］影響を受けた師匠や先輩はいらっしゃいますか。</span></h4>

<p>現在ファミリーマートでCMOを務めていらっしゃる、足立 光さんですね。マーケティング関連で出会い、現在はたまにお酒をご一緒する、マーケティング界隈の先輩です。</p>

<p>ビジネスの進め方や働き方について、ポイントを押さえたり、先を見据えた動き方をより重視する点で大きく影響を受けました。</p>

現在私が実践しているパラレルワークでの働き方も、足立さんに相談をして、さまざまなアドバイスを頂いた結果なんです。</div>

<div class="section">
<h4><span>［11］座右の銘や哲学をお持ちですか。</span></h4>

<p>これといった言葉はありませんが、あえて言うなら、「継続は力なり」ということに尽きます。何事も、すぐ辞めてしまったら咲く花も咲きません。マーケティングでは「いきなり当たる」ことはまれで、生活者の気持ちを動かすには、ある程度の時間がいる。やはり一定の忍耐をもって、ぶれずに続けることは必須だと思います。</p>

周りを見ていても、うまくいっている人は「やり続けている人」が多いです。絶対にできる、やれると思っている人が、最後にはやはり花を咲かせている印象がありますね。</div>

<div class="section">
<h4><span>［12］感動した、非常にためになった本や映画などがあればお教えください。</span></h4>

<p>強烈に影響を受けた、と言えるほどのものはありませんが、例えば『マネーボール』などは学ぶところが多かったなと印象に残っています。アメリカの野球チームのゼネラルマネージャーが、経営危機に瀕した球団を再建する物語ですが、直感や印象ではなく、データを客観的に見てロジカルに判断することによるアウトプットの大切さがよくわかりました。</p>

一口にデータといっても、産業やカテゴリー、状況などによってその信憑性の度合いは違うものですが、スポーツなど一定の条件での行動・結果の履歴はかなり信憑性が高いのだなと思いました。データの活用度合は、環境や視点などで使い分けるべきだと感じさせてくれましたね。</div>

<div class="section">
<h4><span>［13］CMOの将来性と今後期待される役割についてどうお考えですか？</span></h4>

<p>世間一般でもよく言われていることかもしれませんが、昨今、人の考え方や価値観がとても多様化しています。そんな中でも、ある程度の効率を考えて何をやっていくかを決めなければなりませんから、マーケターが果たす役割は重要です。その時々の状況に合わせて何をしていくことがベターか、という道筋を描いたり、それをリードしていく存在として、マーケティングが果たす役割は大きいと思います。</p>

<p>さらに言うと人口が減少傾向にある中で、限られたパイを取り合わなければならないという未来が見えていますから、戦略的に、効率的にビジネスを考えるプロセスは必須になります。</p>

その旗振り役として、マーケティングはもっと台頭していいと思いますし、CMOというポストはますます重要になるでしょう。企業側も、そういう人材をもっと使ってみたり、受け入れてみたりということをぜひ積極的にやってみてほしいと思っています。</div>

<div class="section">
<h4><span>［14］今後のご自身のキャリアビジョンについてお教えください。</span></h4>

<p>昨年はなまるに参画したとき、パラレルワークのスタイルを取りました。それはなぜかというと、マーケティングってすごくロジカルな考え方と、トレンドを押さえ続ける力が必要だから、というのが理由のひとつなんです。</p>

<p>若いころは自然とリアルタイムでトレンドを理解できても、50歳を超えてくると、よっぽど意識していない限りどうしてもずれていってしまうんですよね。パラレルで仕事をした方がインプット量は絶対に増えますから、自分が劣化しないためにもそういった働き方を選びました。</p>

<p>そしてマーケティングでは、周りと同じことをやっていたら埋もれてしまい、独自性がなければお客さまは手に取ってくれません。良い・悪いは別としても、周りと違うことをやって、まず理解してもらうことが次のアクションにつながるわけです。ただ、日々その業界のことを考え尽くしている企業の中だけでは、そんなに新しい発想は浮かんでこない。</p>

<p>だからこそ全く異なる業界とポートフォリオを組んだ方が、新しいインプットができますし、実際のビジネスで協業することもできます。</p>

単純に、いろんな人と会って話をすることって大事ですし、楽しいですしね。アイデアがわく源泉になるし、ビジネスのネットワークを築くという意味でも、パラレルでやっていきたいと考えています。</div>

<div class="section">
<h4><span>［15］最後に若い方々にメッセージ・アドバイスをお願いします。</span></h4>

<p>マーケティングに限ったことではありませんが、やっぱり自分の人生って自分で決めていいと思うんです。私自身も昔は「そんなことはできるはずがない」と思っていたんですが、うまくいくかどうかなんてやってみなきゃ分からない。</p>

<p>もちろんリスクもたくさんありますが、「やらない人にはリターンは絶対にない」ということだけは間違いありません。今はいろんな働き方もありますし、私が若かったころよりよっぽど挑戦しやすい時代です。だからこそ余計に、そんなに難しく考えず、やってみたいと思うことはどんどんやってほしいです。</p>

<p>もしだめなら自分のPDCAを回せばいいんです。そのぐらいに構えて、自分の気持ちを大事にして、ぜひ一歩を踏み出してほしいです。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>加茂 純 氏</title>
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    <published>2021-12-02T05:00:00Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:17:53Z</updated>

    <summary>新顧問 加茂純氏に聞く「日本のDXの現状と未来」 ネット革命前夜、シリコンバレー...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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        <![CDATA[<h5><span>新顧問 加茂純氏に聞く「日本のDXの現状と未来」</span></h5>

<h4><span>ネット革命前夜、シリコンバレーでITの可能性に開眼</span></h4>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>早速ですがまずは加茂さんのこれまでのキャリアを読者の皆さんにご紹介したいと思います。社会人の第一歩は電通のアカウント担当だったそうですね。</strong></p>

<p><img alt="photo02.jpg" src="/industry/cxo/interview/kamo_cdo/photo02.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>電通は文系出身者が多い会社です。外資系コンピュータメーカーと密なコミュニケーションを取るなら、理系の素養がある理系出身の人間に任せたほうがよかろうという判断があったのでしょう。学部で情報科学を専攻していた私に白羽の矢が立ちました。ちょうどインテルやマイクロソフト、アップルが続々と日本に進出し、活動領域を広げていたタイミングでしたから非常に面白かったですよ。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>日本のIT黎明期のど真ん中にいらしたんですね。その後、アメリカの大学院にいかれました。当時のアメリカはどのような状況だったのですか？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>いまのインターネット産業の基盤をつくったような人たち、たとえば、ウェブブラウザのネットスケープナビゲーターで名を成したマーク・アンドリーセンや、ペイパルを創業したピーター・ティール、アマゾンを創業したジェフ・ベゾスなどが世に出だした頃でした。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>すごいタイミングに居合わせていらしたんですね。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>当時はまさにインターネットブーム真っ只中。大学院を出て電通に戻ってから、電通USA内にデジタルラボを設立してシリコンバレーで活動しはじめたのですが、年下の起業家たちの活躍はまぶしいほどでしたね。私自身も感化され、セコイア・キャピタルの出資で、インターネット広告のトラッキングビジネスで起業することにしました。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>セコイア・キャピタルですか。グーグルを上場させたことでも知られている著名なベンチャーキャピタルですね。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>グーグルの成長を後押ししたマイケル・モリッツや、リンクトインを育てたマーク・クワミ、先ほど挙げたマーク・アンドリーセンにも出資してもらったのですが、残念ながら創業直後にドットコムバブルが終焉。数年後、事業を売却し日本に戻ることになりました。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>日本に戻られてからはどうされたのでしょうか？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>知人に声を掛けられ、1年間だけエンターテインメント企業の事業再生に携わった後、当時のPwCコンサルティングの戦略部門に入りコンサルタントとして活動していました。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>加茂さんは、いつごろからCDO（チーフ・デジタル／データ・オフィサー）に着目されたのですか。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>PwCコンサルティング時代に「CMO」という役職が増えていると聞き、情報収集と研究を兼ねて社内プロジェクトを立ち上げたのが最初です。その後、PwCコンサルティングを辞め、CMO（チーフ・マーケティング・オフィサー）にフォーカスしたビジネスで独立・起業しました。数年活動を続けた後、日本で「CDO」の需要が高まると判断し、世界各国でCDOコミュニティを展開するCDO Clubの日本の窓口として2017年にCDO Club Japanを立ち上げました。</p>

<h4><span>CDOがいるのは上場企業の1割のみ。日本が抱える"厳しい"の現状</span></h4>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>CDO Club Japan設立当時の状況を教えてください。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>私がCDO Club Japanの設立を本部に打診した2016年当時は、まだ主要な日本企業の中でCDOの肩書きを持つ人はいなかったと思います。本部のCDOから「日本にはCDOが存在しないのに、いま立ち上げる必要があるか？」と訝しがられるほど、寒々しい状況でした。それからまもなく、外資系企業の日本支社や先進的な大手企業の中にぽつぽつとCDOが生まれはじめ、1年越しの交渉でようやく設立できたというわけです。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>CDOの定義は企業によってもさまざまです。改めて加茂さんのお口からCDOの役割についてお考えをお聞かせいただけますか？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>Dには「デジタル」と「データ」の2つの意味を持っています。欧米では一般的にCDOはこの両者を元から対象としていました。一方で日本においてはDXを実現するリーダーということになると思いますが、膨大な人員を抱える大手企業では事情が異なることもあります。DXを主導する責任者としてCDTO（チーフ・デジタル・トランスフォーメーション・オフィサー）を置き、別途データの統括に責任を持つCDO（チーフ・データ・オフィサー）を立て、共同統治体制を敷くケースも見られます。一口にCDOといっても、企業規模や向き合う課題の大きさによっても負うべき責任の範疇はさまざまです。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>具体的にどのような責任を担うのでしょうか？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>CDOの活動は大きく４つのステップがあります。まずは社内プロセスの改革、<br />
次に社外との連携を行うエコシステム連携。更にはビジネスモデルの再構築に加え、最近では脱炭素化、SDGｓへの対応などがあります。上記の活動のためには、全社でDXを進めることになり、CEOの信頼、強いリーダーシップも必要です。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>なるほど。よくわかりました。ところでCDO Club Japanの現状についてもお聞かせください。現在CDO Club Japanにはどれくらいの数のCDOがいらっしゃいますか？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>現在、各業界のトップ5に入る上位企業を中心に100人を超えるCDOが在籍しています。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>かなりの規模ですね。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>確かに設立当初に比べると会員は増えました。ただビジネス界全体を見渡すと、CDOを置く企業はまだまだ少数派といえます。上場企業6,000社のうち1割程度の企業にしかCDOがいないからです。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>欧米ではどのような状況なのですか？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>全体でおよそ7割の企業にCDOがいるといわれています。それに比べると日本はまだまだ。とはいえここにきて、少しずつ風向きが変わりはじめたのを感じます。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>といいますと？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>コロナ禍の影響です。テレワークの普及や業態の変更が迫られる企業が増えた結果、世間一般にもDXへの関心が高まり、CDO Club Japanへの入会希望者も増えはじめました。いまは面接待ちの状況です。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>2021年にデジタル庁が新設されるなど、新型コロナウイルス対策を契機に政府もデジタル施策に本腰を入れはじめたように見えます。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>そうですね。CIO（チーフ・インフォメーション・オフィサー）が、社内の情報管理や基幹業務システムの運用を担当する「守りの要」なら、CDOはデジタルテクノロジーとデータを使って企業全体を変革する「攻めの要」です。両者は本来ITを真ん中に挟んだ双子の関係にあります。これまではCIOとCDOの役割がごっちゃにされがちでしたが、新型コロナウイルスの蔓延という一種の「外圧」によって、CDOの重要性が広く認識されるようになったのは、コロナ禍がもたらした数少ない「怪我の功名」といえるかも知れません。</p>

<h4><span>経営者のコミット、ITの手の内化がDX推進のカギになる</span></h4>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>加茂さんの目からご覧になって、いまの日本企業のDXはどの段階にあると思われますか？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>CDOの普及度合いからも推察できる通り、まだまだ不十分という感触を持っています。データの扱い1つとっても、必要なデータが取れていないことも多いですし、部門間でデータがサイロ化され、共有ができていないことも珍しくありません。全社挙げてのDXというよりは、部分最適に終始したデジタイゼーション、デジタライゼーションに留まるケースも見かけます。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>欧米企業に比べて日本企業のDXが遅れているのはなぜだと思われますか？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>欧米企業が進んでいるのは、株主などステークホルダーから受ける変革を促す圧力が強いこと、もう1つが企業文化としてトップダウンで物事が決まりやすい体制になっていることが大きな要因でしょう。もう1つ、欧米では以前から社内に技術者を抱え、システム開発を手の内化してきた事業会社が多く、デジタルやデータ活用への理解力が高いことも関係していると思います。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>日本では「餅は餅屋」の観点から、自社のシステム子会社を介してシステムベンダーに丸投げしているケースが多いですよね。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>そうですね。社会が定常的で変化が乏しければ、丸投げでもよかったのかも知れません。しかしいまは変革の時。ゲームのルールやプレイヤーの顔ぶれもどんどん変わっていきます。市場の変化に素早く対応しようにも、丸投げしていてはスピーディーな変化は望めません。ここに日本でDXが遅々として進まない大きな問題があると思います。自社内に開発リソースを抱えていることは、決してリスクや無駄ではなく、むしろ大きなアドバンテージといえる時代になったわけです。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>さらに昨今は、製造業を中心にゼロエミッションやグリーン対策も急務ですね。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>その意味でもデジタルテクノロジーとデータを活用したデータドリブンな企業経営、ビジネス戦略の必要性は高まっているといえます。まずは経営陣が旧態依然とした組織体制やビジネススタイルを刷新する覚悟を決めること、そう一旦腹を決めたからには、ITとビジネスに精通したCDOを専任し支援を惜しまないことが、変革の第一歩になるでしょう。</p>

<h4><span>CDOとDX推進室メンバーに求められるもの</span></h4>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>多くの企業が悩まれていると思いますが、加茂さんは、どのようなプロセスでDXに取り組むべきだとお考えですか？</strong></p>

<p><img alt="photo01.jpg" src="/industry/cxo/interview/kamo_cdo/photo01.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>実務的な面でいうと、外部から実績のある人物をCDOに招聘したら、その下に「DX推進室」を作り、最低限PoC（概念検証）ができる機能を持たせるのが定石です。チームメンバーの核となるのは、データサイエンティスト、データエンジニア、セキュリティエンジニアなど、デジタル系のバックグラウンドを持つメンバーと、テクノロジーと経営のブリッジ役を担い、DX戦略のロードマップを描けるコンサルタントです。その後、各事業部からビジネスや業務に精通したメンバーを募り、徐々に規模を大きくしていくというのが1つの成功パターンになっています。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>CDOについてはいかがですか？　どのような素養が必要でしょうか？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>CDOはメンバーほど実務に長けている必要はありませんが、何らかの変革プロジェクトをリードした経験は必要でしょう。IT全般の知識や人脈、企業パートナーとの連携やリクルーティングのために社内外への発信力も必要でしょう。もちろん経営者からの信任を得るのも大切です。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>デジタル系の人材だけではなく、事業部からも人を募ることも大切なポイントなのですね。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>事業部から人を募るのは、事業部の歴史的経緯に分け入って解きほぐす必要があるからです。DXは現場に根づいてはじめて機能するもの。理想論を振りかざすだけで動くほど、現場の業務は単純ではありません。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>DXというと、大型ディスプレイに映し出されたデータやグラフを見て、新しい戦略を考えるような「キレイ」で「カッコいい」イメージがありますが、そこまで辿り着くには、幾多の困難を乗り越えなければならないわけですね。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>すべてお膳立てが揃ってから分析したり、企画を考えたりするわけではありませんからね。既存事業のトランスフォーメーションや新規事業の立ち上げに挑む前に、現状把握と「地ならし」が欠かせません。むしろこちらのほうがメインの仕事といってもいいくらいです。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>たとえばどのような困難が待ち受けているのでしょう？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>あるはずのデータがない、データはあっても欠損している、本当に必要なデータなのか判断がつかないという状況は、日本のあちこちで起こっています。こうした現実をつぶさに把握し、どうやって新たな環境を築いていくべきかを考え、周囲を巻き込みながら実現していくのがCDOの役割であり、DX推進室の使命です。現場の実情、経営の意向やビジョンを踏まえての活動になるので、息の長い取り組みになるのを覚悟するべきでしょう。</p>

<h4><span>DXでどのような社会を築くか。教養が問われる時代に</span></h4>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>日本企業の99.7％は中堅・中小企業です。日本全国にDXの恩恵を届けるには何が一番必要だと思われますか？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>DXの必要性を経営者自身が理解することが第一ですが、実務を担う人材を集められるかが大きなネックになるでしょう。たとえ変革したい問題が見えていても、動かせる人材がいなければ、事態を打開することはできません。システム周りの技術やノウハウが外注先にガッチリと握られてしまい、身動きが取れない中小企業経営者も多いと聞きます。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>大企業同様、中堅・中小企業も安穏としていられませんね。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>そう思います。長期的には教育システムも見直しが迫られるでしょうね。日本はまだDX人材を輩出する仕組みが欧米に比べて貧弱で、理系学生も減少傾向です。数少ない理系学生もコンピュータサイエンスよりは工学系の比重が高く、多くはモノづくり志向。変えるべき点を挙げればキリがありません。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>日本をいち早くDX先進国にするための有効な手立てはありますか？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>短期的には、外国人も含め、社会人の中から素養のある人材を見つけ出し、キャリアの選択肢に加えていただく努力も必要になるでしょうね。そういう意味では、人材エージェントであるキャリアインキュベーションの皆さんにはとても期待しています。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>ありがとうございます。現状、当社を訪れる候補者の方見ていると、とくに技術系のバックグラウンドをお持ちの方の場合、実際のビジネスや事業に対する興味を深めるよりも、その道を極める志向を持つ方が多いように思います。そのため、本来なら、CDOやCDO推進室のメンバーになってもおかしくない方の多くが、戦略コンサルタントやDXコンサルタントを志望されることが多い状況です。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>なるほど。本来、事業会社の中でDXに携わることに意義があり、今後の市場性を考えると有望なキャリアだと思うのですが、まだまだ認知が薄いのでしょうね。われわれCDO Club Japanとしても、成功事例を世に知らしめたり、実績を挙げた"ヒーロー"にスポットライトを当てたりするなどして、CDOやCDOのもとで実務に携わるメンバーのステータスを高めていく必要性を感じます。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>加茂さんの弊社顧問へのご就任を機に、われわれとしてもCDOを1つのゴールとしたキャリアプランニングの有効性を積極的に提案していきたいと思っています。最後に加茂さん個人として、今後やっていきたいことや抱負をお聞かせいただけますか？</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>すでにCDO Club Japanに参加してくださっているCDOの皆さんの協力を得ながら、情報発信を強化し、まずはCDOの数を増やしていきたいと思っています。これと並行して注力したいのが、成功事例や失敗事例の共有を通じ、DXのスピード向上と質を高めていく活動です。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>デジタル社会の実現には多くの課題があるわけですが、加茂さんがとりわけ大切にすべき点は何だと思われますか？</strong></p>

<p><img alt="photo03.jpg" src="/industry/cxo/interview/kamo_cdo/photo03.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>デジタルテクノロジーやデータは、これからの社会を支えるインフラに過ぎません。このインフラの上に、どのような社会を築くかを決めるのは人間です。テクノロジーもデータも社会を豊かにし、人を幸せにするために使うべきものであって、DXを人員削減やコスト削減の道具と短絡的に捉えるのは拙速に過ぎます。哲学なき効率化は、社会に不幸をもたらすばかりだからです。今後は歴史や思想、科学や芸術など、人間を人間たらしめる教養の重要性がますます高まっていくでしょうし、そうあるべきだと思います。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>デジタル時代にこそ人間の内面性が問われるというのは、考えさせられるお言葉です。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>決して容易な道のりでないのは確かです。しかしアグレッシブで人格的にも優れたリーダーが日本にも増えつつあります。彼ら、彼女たちのこれからの活躍には大いに期待を寄せています。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>われわれも、せっかく加茂さんという顧問を得たのですから、少しでも社会のお役に立てるよう、人材の啓蒙と獲得に尽力します。ぜひともお力添えをお願いいたします。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>そうですね。いい関係が築けるようお互い知恵を絞っていきましょう。</p>

<p><span class="name">【赤池】</span><strong>本日は長時間にわたりありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。</strong></p>

<p><span class="name">【加茂】</span>こちらこそよろしくお願いします。</p>

 <p class="caption"><strong>■ 聞き手<br />
<a href="https://www.careerinq.com/consultant/akaike.shtml">赤池 辰介</a>（キャリアインキュベーション　ディレクター）</strong><br />
＜プロフィール＞早稲田大学卒業後、新卒で株式会社電通国際情報サービスへ入社。金融機関、親会社電通向けの法人アカウント営業に従事。電通へ出向し、システム企画業務を担当。<br />
企業の成長の源は人であることに着目し、人材紹介業へキャリアチェンジ。キャリアインキュベーションへ参画。企業のエグゼクティブレイヤの人材紹介を通じて、課題解決を支援している。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>田中 友美子 氏</title>
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    <published>2021-10-29T05:40:59Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:17:47Z</updated>

    <summary>［1］自己紹介をお願いします NTTコミュニケーションズのデザインスタジオ「KO...</summary>
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    </author>
    
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        <category term="田中 友美子 氏" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="製造業" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="nttコミュニケーションズ「koel」" label="NTTコミュニケーションズ 「KOEL」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://career-incubation.co.jp/cxo-interview/">
        <![CDATA[<h4><span>［1］自己紹介をお願いします</span></h4>

<p>NTTコミュニケーションズのデザインスタジオ「KOEL」でHead of Experience Designという役職に就いています。主に部門全体の成果物に対するクオリティを担保する役割を担っています。</p>

<div class="section">
<h4><span>［2］現在の社内での役割についてお教えください</span></h4>

<p><img alt="photo03.jpg" src="/industry/cxo/interview/koel_cxo/photo03.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

<p>デザインリサーチャーやUXデザイナーの育成を手掛けながら、同時に自分もプロジェクトの一員として加わることも多いです。最近ではビジョンデザインのプロジェクトを手掛けることが多いですね。</p>

ビジョンデザインとは、10年後、20年後の社会のあり方を描き、そこから社会で生まれるニーズを仮説立て、ソリューションを構想し、その社会実装を目指すものです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［3］小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう？</span></h4>

<p>とても大人しくて控えめな子供だったと思います。</p>

<p>周りの人をじっくり観察するようなタイプで、周りの人や景色をジロジロ見てばかりいました。</p>

<p>思うがまま知らないところへ行くのもすごく好きでした。通学途中でわざと知らない小径に入っていって、自分だけの新しい通学路を開拓することを楽しんだりしていました。当時、私は小学校へ行くのにバス通学していたんですが、知らない街をみてみたい気持ちが強くて、乗ったことのない路線のバスの終点まで行って引き返してくるというようなことをしていました。</p>

<p>絵もよく描いていました。</p>

<p>両親ともにグラフィックデザイナーだったこともあって、家の中に画材が多かったし、絵を書いている時はひとりで静かにできたので、親が仕事中などにも、側で絵を書いていることが多かった記憶です。<br />
割と几帳面なところがあって、白いところがあったら「すごく嫌だな」と思ってクレヨンでもしっかり色をつけることにこだわったり、はみださないように細かく絵付けをするタイプでした。</p>

家族でスケッチ大会をしたりすると、私が家族の中で年少なので、うまく絵が描けなくて悔しいと思うことも多くて。「私も、もっとうまく描けるようになりたい！」と思っていましたね。<br />
家族で絵を描いたり工作をしたり、美術館へ行くことも多く、美術はいつも身近にあり、大人になったらデザイナーになるんだろうなと思って育ちました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［4］高校、大学時代はどのような学生でしたか？</span></h4>

<p>高校1年生のときに美大への適合性みたいなのを知りたくて、美大受験の予備校の夏期講習へ通いました。受験の実態を見たい気がしていたのもあり、基礎コースなどではなく、高校3年生や浪人生に混ざって、受験コースを受講してみたのですが、それが楽しかった。丸一日の実習だったのに、あっという間に時間が経った気がするほど夢中になれたので、向いているのかなと思いました。</p>

<p>おかげさまで無事に美大に入れたものの、美大受験がけっこう壮絶だったので、大学ではのんびり羽根を伸ばしていたような気がします（笑）。</p>

<p>その頃授業で出会ったのが、コンピューターの世界でした。それまでのグラフィックデザインは想像力を使って、絵で描いたり、印刷の指示書をつくらなければならなかったりと、仕上がりイメージを頭の中で詳細に描くスキルが必須とされていたと思うのですが、パソコンがあれば印刷前にしっかりプレビューできる。グラフィックデザインのプロセスが大きく変化していた時期だったと思います。</p>

<p>そんな大学2年生のとき授業で出会ったのが「プログラミング実習」でした。自分も実際にコンピューターに触ってみて、パソコン上で動く絵を描いたり、インタラクティブなグラフィックをつくってみたりしました。そのときに、これまでのイメージの作り方とは全く違った、もっと動的な描き方に出会って、「コンピューターを使ったデザインってこういうことか......！」となんとなく腑に落ちたのです。</p>

コンピューターは静止画の世界を、デジタル上に置き換えるものじゃない。「新しい道具を使って、新しい表現ができるものなんだ」ということがわかりました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［5］最初に就職した企業と、その企業を選んだ理由を教えてください</span></h4>

<p>昔から雑誌にときめきを感じていたんですよね。実家で片付けをしていたりすると、古い雑誌が出てきたりするじゃないですか。就職活動のちょっと前に、家で『Olive』という雑誌の創刊号を見つけたことがありました。</p>

<p>そのときのキャッチコピーの言い回しやモデルが身にまとっているファッション、そして広告も含めて、当時時々読んでいた「私の知っている『Olive』」の世界観とは全然違って。</p>

<p>「この時代って、こういう感じだったんだ！」と衝撃を受けました。そのとき雑誌って、ある意味「時代をキャプチャーするタイムカプセル」みたいで面白いなと思ったのです。</p>

<p>それに当時はまだUXデザインという概念がなかったので、自分的にピンとくるデザイン領域がなかった気がします。就職氷河期のど真ん中でもありましたし、もともと好きだったエディトリアルデザインの道へ進もうと、雑誌から教科書まで、幅の広いエディトリアルデザインに関われそうな、株式会社アレフ・ゼロ（現・株式会社コンセント）に入社しました。</p>

<p>入社時は『日経PC21』、その後は『anan』などのエディトリアルデザインを手掛けていました。日本の雑誌ならではの細かい情報を、いかに見やすくページに納めるのかを、週刊誌というスピード感の中で試行錯誤する、厳しい現場だったと思います。それでも、電車に乗ると隣に座っている人が自分の作ったページを読んでいるところに遭遇したり、どこのコンビニにも自分が関わった本が並んでいたり、自分のデザインしたページがテレビに映ったりするようなこともありました。</p>

このとき、自分の手掛けた仕事が社会とつながっているという実感を持つことができて、手触り感のあるインパクトを感じられたのは、かけがえのない経験だったと思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［6］ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか？　その理由についても教えてください</span></h4>

<p>デザインの領域の中でも、今やっているデザインリサーチやビジョンデザイン的なことをやるようになった最初の大きなきっかけは、ノキアのインハウスデザインの部署に入ったことだったと思います。ノキアはデザインリサーチの領域で前衛的だったし、きっちりと行動を観察してデザインの提案をする組織で、尊敬する先輩も、アイデア豊富な同僚も多くて、とても刺激的な職場でした。</p>

<p>その文化の中でインタラクションデザイナーとして働きながら、幅の広いUX・UIデザインの文脈での、自分の強みみたいなものを発見することができたと思います。チームで仕事をしていく中で、自分が力を発揮できる役割や、成果物のクオリティーが上げられるタスクが見えてきた部分もありました。</p>

<p>自分的には、デザインリサーチからのコンセプト創出の部分と、ストーリーテリングに強みを見出して、その後のキャリアでもそこを軸にしてきたと思います。</p>

その上に、デザインリサーチに出会う前に培ったビジュアル・コニュニケーションや、エディトリアル・デザインで学んだ情報整理術を活用して、自分らしい領域を探してきた気がしています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［7］専門的スキルは主にどこで獲得したのですか？</span></h4>

<p>絵をきちんと描く、道具を適切に使うといった実技的なスキル全般は美大受験で培ったと思います。デッサンのノウハウや、きちんと色をつけるといったような、基礎的な部分です。</p>

<p>もっと今の仕事につながる「まずやってみる」というような実験的な制作は、イギリスのロンドンにある美術系大学院大学のロイヤル・カレッジ・オブ・アート（RCA）に留学して身についたと思っています。</p>

<p>インタラクション・デザインというコースに入学し、「インタラクションの正体を学びとるぞ！」と思っていたのですが、実際イギリスへ行ってみると、そもそも学校のあり方からしてまったく違っていて、待っているだけでは何も教えてくれないですし、「これをやりなさい」という課題もありませんでした。その代わり、やりたいことがあれば教えてくれますし、専門家につないでくれたりします。そこで、わからないことは知見者に聞いてみる姿勢が身に付いて、それが今のデザインリサーチのスキルの基盤になっていると思います。知りたいことを知ってそうな人を探すこと、知りたいことを知るための質問の仕方など、いつも考えていました。</p>

<p>その後の仕事の中で、色々な関係者を説得しなければならない、プロダクトのデザインに携わることで、制作物に対して、理由付けや付随するストーリーを考え、しっかり「売り」となるポイントを打ち出すことも習得できました。</p>

なので、専門的スキルは、人生すべての経験の積み重ねみたいなものだと思ってます。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［8］リーダーシップやマネージメントに関する経験やスキルは、いつ、どこで獲得したのでしょう？</span></h4>

<p><img alt="photo01.jpg" src="/industry/cxo/interview/koel_cxo/photo01.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

<p>デザイナーとしての経験がついてきた頃から、プロジェクトをリードするようになったときだと思います。プロジェクト全体に対して、自分が方向性を示して、チームみんなで何かを成し遂げなきゃならない。わからないことに直面しても、なんとかするしかない。それがプロジェクトリードです。</p>

<p>そのときに活きたのは、RCA時代に培った「まずやってみる」マインドや、見せ方・伝え方へのこだわりでした。プレゼン相手に合わせて説明を変えたり、しっかり理由付けをストーリー仕立てで伝えたりする。その経験のおかげで、マネジメントをすることになったときも本当に助けられました。</p>

<p>また、マネジメントに取り組もうとして、人間関係でうまくいかなかったこともあります。そのときは人生の先輩であり、デザイナーとしての先輩である父に相談することもありました。</p>

<p>意見が食い違ったとき、相手を変えようとするのも違うし、逆に自分のクリエイティビティを曲げて相手に寄せようとしすぎると自分が摩耗してしまう。一つのプロジェクトを成し遂げるとき、自分という人間がみんなを完璧に「動かす」なんてできません。</p>

今では「プロジェクトのゴールを描き、そのクオリティを確実に担保すること」を見据えてプロジェクトをマネジメントするようにしています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［9］キャリア形成上の転機があったとすれば、それはいつのことですか？</span></h4>

<p>イギリスのRCAを卒業したときですね。日本に帰国するかどうするかを考えたタイミングです。<br />
イギリスのほうがデザインについての視野が広い気がしたので、ロンドンで働きたいと思いました。体験のデザインもデザインリサーチも活発化してきた時期で、日本ではまだそうした動きが出てきていませんでした。私は職人的に美しいものを作り込むというよりも、デザインの力を使って意味のあるモノを作りたかったし、戦略のような大枠から考えたかった。</p>

<p>でも海外で就職するってすごく大変で、学生ビザの残りでイギリスに滞在できるカウントダウンが始まってしまいました。</p>

<p>現地の会社からすると、デザインの大学院を出たばかりで何の実績もなく、しかも英語はネイティブほど話せるわけでもない、日本から来た私を採用する明確な理由が見当たらない。留学して現地で働く人はそれほど多くないですし、ロールモデルもいなかった。就職活動はとても大変で苦戦しました。</p>

<p>そのとき「私の売りってなんだろう？」とすごく考えましたね。当時、フランスで働いていた友人に言われたのは、「海外で仕事を探すには、人より優れているところが3つ必要だ」ということでした。</p>

<p>そこで必死に考え抜いた結果、</p>

<p>1.インタラクションデザイン（エクスペリエンスデザイン）<br />
2.これまでのグラフィックデザインの経験<br />
3.日本語を話せること</p>

<p>を強みと捉え、それをわかりやすく伝える工夫を重ねていきました。</p>

期限が迫る中、必死に自分の"売り"を探したその頃は「他の人とは違う、私の強みはなんだろう」とアピールポイントに向き合えた貴重な時期だったと思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［10］強く印象に残っている試練やストレッチの経験について教えてください</span></h4>

<p>キャリア選択において、コンセプトを構想するようなデザインコンサルタント的な仕事と、プロダクトを世の中に出していく事業会社での仕事、どちらの仕事もし続けたいという気持ちをあきらめきれなくて、両方を行き来するデザインライフを送ってきました。</p>

<p>SONYで『PlayStation4』のシステムUIをつくるプロジェクトを手掛けたときは、関わる人数の多さや、影響力の大きさから、大変さを感じたことも多かったです。<br />
はじめてエンジニアと正面からコミュニケーションし、「世の中にリリースするためのコミュニケーション」「実装のためのデザイン」をすることになりました。コンセプトだけで留まるだけのときとはまったく違い、私にとってストレッチとなる経験だったと思います。</p>

<p>その後デザインコンサルティングファームの「Method」に入った時はカルチャーショックが大きかったですね。初めてのコンサルティングファームで、プロジェクトの期間も短かくて。毎回まったく異なる業界に対して、顧客が驚くような提案をものすごいスピードで行わなければならないのは、大きな挑戦でした。</p>

毎回荒波の中を進むような感覚なんですが、そのプロセスを繰り返すうちに成果が出てくるようになって「最後はちゃんとうまくできる」と自信を持てるようになりました。そうしているうちに、やり方のパターンが増えていったような気がします。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［11］影響を受けた先輩や、師匠といえるかたはいらっしゃいますか？</span></h4>

<p>様々なプロジェクトを一緒に走りきってくれた同僚や、右も左もわからなかったときに学びにつきあってくれたRCAの同級生です。みんなユニークな視点を持っている方たちばかりで、彼らのような視点を忘れてはいけないと思っています。</p>

<p>RCAへ行ってよかったなと思うのは、多様な視点でものごとを捉える習慣がついたことです。アングルを変えてものごとを見ることで、新しくわかることがあります。いつも心がけているのは、RCAの同級生と久しぶりに話したときに「つまんなくなったな！」なんて思われたくないなということ。日々、いろんな視点を持っていたいですね。</p>

アーティストやデザイナーとしては、一つの表現だけに固執しないで、常に作風を変えて新しい表現の境地を開拓している方が好きです。やっぱり、新しいことに挑戦するのはエネルギーが必要だし、繰り返しの快適さに身を委ねないストイックさに魅力を感じます。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［12］座右の銘や、独自の哲学などをお持ちですか？</span></h4>

<p>「やってみる！」</p>

<p>常にやってみることを心がけています。</p>

<p>やらない理由っていくらでも捻出できると思うんですね。だけど、そうじゃなくてまずやってみる。小学生のとき知らないバスに乗って終点まで行ったり、とにかく外国に住みたいとイギリスのRCAへ留学してみたり。それもすべて「やってみよう！」と思ったからです。</p>

<p>やらないと一生後悔しちゃいそうなんですよね。年老いたときに「一度は外国に住んでみたかったなぁ」なんて思っちゃいそうで。</p>

<p>嫌だったらやめればいい！くらいの気持ちで、とりあえずやってみるようにしています。</p>

<p>例えば私の場合、アメリカでの暮らしは合っていなくて、2年で辞めて、イギリスに戻ったりもしました。</p>

<p>「とにかくやってみる」というステップを乗り超えると、できることがデザインの成果物の幅にも広がるし、さらに他の選択肢へも広がる。今では、生活や仕事のフィールドも、世界にまで広がった気分です。</p>

やってみることを重ねていけば、例えば「来月からシンガポールで仕事をしてくれない？」なんて言われてもすぐに飛んでいける。それって、自分のキャリアが世界中のジョブマーケットまで広がることになると思うのです。人生の可能性が広がった気がして楽しいです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［13］感動し、影響を受けた本や映画などがあれば教えてください</span></h4>

<p>「これ！」というものはありません。</p>

その根底には、一つのものだけに影響を受けたくないという思いがあります。多角的な視点を持って、いつも多様なアングルでものごとを見ていたい。何かをバイブルとして自分の軸にすることはないです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［14］Head of Experience Designとして今後必要なスキルや資質についてはどのようにお考えでしょうか</span></h4>

メンバーを育てる視点ですね。「KOEL」はデザイン経験の少ない方もいらっしゃるので、そういう方にどのようにデザインにまつわる体験を促し、実際のプロジェクトを経験していただくか。メンバーのみなさんに、いかに経験を重ねていただくかを大事にしていきたいと思っています。 <br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［15］ご自身の今後のキャリアビジョンについて教えてください</span></h4>

<p><img alt="photo02.jpg" src="/industry/cxo/interview/koel_cxo/photo02.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

<p>日常生活を幸せにするデザインを、これからも手掛けていきたいですね。</p>

<p>「当たり前の日を幸せにする」というのことを自分の中では大切にしています。日常のちょっとした幸せが続けば、本当に毎日が幸せになると思う。特別な人だけが感じる幸せではなく、街に生きるみんなの当たり前の毎日が、ちょっといいな、と思えるような仕事を続けていきたい。</p>

「KOEL」に入ったのも、インフラという、すべての人の暮らしに関わるインクルーシブな領域です。それがより良くなったら、みんなの暮らしがちょっとでもよくなるのであれば、デザインの力で社会貢献ができるのではないかと思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［16］若い方々へメッセージ、アドバイスをお願いします</span></h4>

<p>移り変わりの早い世の中なので、5年後、10年、自分がどういうスキルを持っていたいのかを考えながらキャリア形成するといいのかなと思っています。</p>

<p>先ほどもお伝えした通り、自分の"売り"って何だろう、といろんなタイミングで考えることがすごく大事です。</p>

<p>得意なことって、自分にとって当たり前のようにできちゃうことなんですよね。でもふと周りを見渡すと、他の人は苦戦していたりして。それをすごく頑張っていたわけじゃないのに、気付けばできていること。そういうことを客観的に見つけるようにして、自分の得意を見つけてみるといいんじゃないでしょうか。</p>

<p>どんな付加価値をつければ、自分のやりたいことを仕事にできるのかを節目節目に考えるのも良いと思います。</p>

<p>例えば私の場合、大晦日に毎年振り返りをしています。毎年3つの目標を立てているんですが、その目標がどれだけ達成できたか、来年はどんなことをできるようになろうか、そんなことを日々考えています。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>西本 慎太郎 氏</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://career-incubation.co.jp/cxo-interview/007956.html" />
    <id>tag:www.careerinq.com,2021:/industry/cxo/interview//27.11882</id>

    <published>2021-03-05T05:14:29Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:17:41Z</updated>

    <summary>［1］自己紹介をお願いします 大学・大学院では寺社や日本庭園の研究をしていました...</summary>
    <author>
        <name>admin</name>
        
    </author>
    
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        <category term="製造業" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="西本 慎太郎 氏" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="エンバーポイント株式会社" label="エンバーポイント株式会社" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://career-incubation.co.jp/cxo-interview/">
        <![CDATA[<h4><span>［1］自己紹介をお願いします</span></h4>

<p>大学・大学院では寺社や日本庭園の研究をしていました。その頃、たまたまNHKのドラマ「ハゲタカ」が大ヒットしていて、企業を成長させるプロフェッショナルがいることを知り、強く憧れました。<br />
大学院を出てからは、野村證券に入り、投資銀行業務を担うIBDで企業買収や合併をサポートする業務を経験。<br />
その後、ドリームインキュベータ、ベイン・アンド・カンパニーとコンサルを約8年以上経験しました。ドリームインキュベータでは新規ビジネスの立ち上げ案件に多く関わり、ベイン・アンド・カンパニーでは、業界のリーディングカンパニーの経営陣に対して様々なテーマのプロジェクトに携わりました。<br />
エンバーポイントに入社したのは、2019年11月のことです。</p>

<div class="section">
<h4><span>［2］現在の社内での役割について教えてください</span></h4>

<p><a href="/industry/cxo/interview/emberpoint_cxo/photo02.jpg"><img alt="photo02.jpg" src="/industry/cxo/interview/assets_c/2021/04/photo02-thumb-200xauto-4547.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></p>

<p>CSOとして基本的に2つの機能を管掌しています。<br />
1つは経営企画で、CEOの神谷とともに全社の戦略策定・実行を担当。もう1つは人事部門で、戦略を実現するために人的リソースの振り分けや組織づくりを担当しています。<br />
「基本的に2つの機能」と前置きをしたのは、1メンバーとして、営業部門とコンサルティング部門にも籍を置いているからです。営業に同行したり、コンペの結果に一喜一憂したりしています（笑）。</p>

事業戦略の立案とその実行に責任を負っている以上、売上・利益を生んでいる現場を知り、その難しさを理解していなければ、いくら良い戦略でも「絵に描いた餅」に過ぎないと考えるからです。戦略を高速でピボット・アップデートしていくために、今は役員とメンバーの両面で様々な業務を兼務しています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［3］小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう？ </span></h4>

私の父親は不動産会社を経営しており、私が子供の頃から毎日帰りが遅く、よく資金繰りでぼやいていたので、小学生ながら「自分は絶対に経営には関わらない」と決めていました。なぜCSOをやっているのか不明です（笑）。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［4］高校、大学時代はどのような学生でしたか？</span></h4>

勝ち運だけは人一倍あり、中学時代から熱中していた弓道は、全国大会7位になりました。<br />
大学に入ってから、元々は橋梁工学分野での研究職を目指しましたが、途中から趣味でよく訪れていた寺社仏閣や庭園の研究に鞍替えしました。<br />
研究はとても楽しかったのですが、他の人に比べてデザインの才能が無かったため、違う分野に進むことを決めました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［5］ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか？　その理由についても教えてください</span></h4>

私がファイナンスや企業経営に興味を持ったタイミングは、先程お伝えした、テレビドラマの「ハゲタカ」がきっかけです。<br />
ファンド側に焦点があたっているが、そのライバル役として企業の成長・再生の請負人として芝野健夫というキャラクターがいます。経営不振に陥った企業の再建に奔走する彼の働きぶりに共感を覚え、使命感に満ちた仕事ぶりに惹き付けられました。<br />
テレビの前で「こんな面白い仕事がしたい」と思った当時の気持ちは、いまも変わらず心のなかに宿っています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［6］専門的スキルは主にどこで獲得したのですか？</span></h4>

<p>CSOに求められる専門性を語れるほど経験があるわけではないのですが。会社の状態によって必要なスキル・経験が異なることは分かっています。例えば、今はアプリ開発やシステムインフラの知見が無いことで苦しんでいますが、これは3ヶ月前には必要なかったものです。<br />
一方、フェーズによらず共通して使えるスキルもあって、それは少しずつ掴みかけている、という段階です。</p>

<p>例えば、野村證券では投資銀行業務・ファイナンス、ドリームインキュベータではベンチャー支援や新規ビジネス立ち上げ、ベイン・アンド・カンパニーでは経営戦略を学びました。<br />
こうした経歴からすれば、ファイナンス・経営・戦略が専門といえますが、実際はそのキャリアの中で、現場にどっぷり入り込んで学んできたことの方が役に立っています。</p>

戦略コンサルタントには、戦略フェーズを重視し、実行フェーズを嫌う人が多くいますが、私はむしろお客様と併走しながら戦略を実行・見直していく実行の方に意義を感じていました。戦略コンサルタントの中では珍しい存在として重宝されていたように思います。<br />
客先に常駐して士気を高める盛り上げ役に徹したり、飲み会でスタッフの愚痴や悩みを聞いたりしたことも数知れません。沖縄の海岸沿いを社員の人と歩いて、良い不動産立地を探したりもしましたね（笑）<br />
強いていえば、戦略と現場の落とし込みの両方に触れながら両立させてきたことが私の専門性なんだろうと思っています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［7］リーダーシップやマネージメントに関する経験やスキルは、いつ、どこで獲得したのでしょう？</span></h4>

<p>マネージメントに関しては、ベイン・アンド・カンパニーで鍛えられました。とくにマネジャーとして学んだことは無二の経験だったと感じています。<br />
ベイン・アンド・カンパニーは、調査会社が毎年実施している、働きやすさを競う企業ランキングで上位を占める常連です。これを支えているのがマネージメント層の優秀さ。入社してそれがとてもよくわかりました。</p>

<p>ベイン・アンド・カンパニーのマネジャーは、いついかなるときでもメンバーや上司、顧客からの質問に即答できるよう、常に5歩先、10歩先を見越して考え尽くすことが求められます。毎週、メンバーはチームの状態や満足度を評価し、その結果が公表されるので気が抜けません。</p>

<p>コンサルティングの実務においても、顧客が到達すべき理想的な状況から逆算して、1年後にここまでたどり着こうと思ったら、半年後、3カ月後、1カ月後、2週間後に、顧客に何をどのように伝え、何を成すべきかを徹底して問われるので常にゴールが見えていないと務まりません。</p>

そのためマネジャーは、メンバー以上に問われるレベルが高く、知的な意味でも体力的な意味でもタフさが要求されます。リーダーシップを磨くには最適な環境だったと感じます。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［8］キャリア形成上の転機があったとすれば、それはいつのことですか？</span></h4>

<p>ドラマ「ハゲタカ」を見て経営に携わってみたいと思った瞬間と、ベイン・アンド・カンパニーでのマネージメントを経験したことがキャリアの転機だったと思います。</p>

コンサルティングの現場で顧客と向き合っていた当時は、とにかく死に物狂いでしたから、この経験が自分の将来にどのような形で役立つのかわかりませんでした。<br />
でも人間的なコミュニケーションがあって、はじめて抽象度の高い戦略を具体的な戦術に落とし込めることを知れたのは、あのときの経験があればこそ。事業会社に移ったいまも当時の経験がとても役立っています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［9］強く印象に残っている試練やストレッチの経験について教えてください</span></h4>

どれか1つに絞ることは難しいのですが、経営判断・意思決定の最前線に立つ厳しさは何度も経験しています。<br />
現場の本音に耳を傾け、いかんともし難いと思われた状況を打開していく過程は、スマートな外資系コンサルタントのイメージとはかけ離れており、非常に泥臭いものでした。<br />
いま振り返っても、当時経験したことで無駄だったことは何1つなかったのではないかと思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［10］影響を受けた先輩や、師匠といえるかたはいらっしゃいますか？</span></h4>

<p><a href="/industry/cxo/interview/emberpoint_cxo/photo04.jpg"><img alt="photo04.jpg" src="/industry/cxo/interview/assets_c/2021/04/photo04-thumb-200xauto-4559.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></p>

<p>ドリームインキュベータの創業者である堀紘一さんと、ベイン・アンド・カンパニーのパートナーである石川さんです。</p>

<p>堀さんとは何度かプロジェクトをご一緒したことがありますが、本筋から一切外れない切れ味の鋭いお話しぶりが、強く印象に残っています。<br />
経営者に嫌われてもおかしくないセリフも躊躇なく口にでき、しかも説得力がある。名経営者と対峙できる数少ないコンサルタントでした。参謀とはかくあるべしという1つの規範を見せていただき、とても勉強になりました。</p>

ベイン・アンド・カンパニーの石川さんからは、経営コンサルティングの醍醐味とチームマネージメントのイロハを教えて頂きました。自分のチームのメンバーがメキメキと頭角を現し、顧客の前で自信を持ってプレゼンしている姿を見て、人を育てることの意義を知りました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［11］座右の銘や、独自の哲学などをお持ちですか？</span></h4>

山本五十六の言葉とされる、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という言葉が座右の銘です。その続きの、「話し合い、耳を傾け承認し、任せてやらねば人は育たず。やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば人は実らず」まで含めてです。<br />
あとは、チャーチルの「凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない」とかも辛いときに励まされます。一度航海にでれば、年単位で同じメンバーと共に過ごすことになる海軍のリーダーの言葉には重みがあります。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［12］感動し、影響を受けた本や映画などがあれば教えてください</span></h4>

「英国王のスピーチ」ですね。<br />
吃音に悩む英国王が言語療法士の力を借りてながら努力を重ね、ナチスドイツとの戦いを前に、国民に結束を呼びかける演説を見事にやり遂げるという映画なのですが、むしろ彼を助ける言語療法士ローグの姿に、自分が理想とする参謀・黒子としての姿でした。<br />
前職を辞めた後、実は起業を検討していた時期がありました。実現に至らなかったのは、自分が企業のトップに立って組織を率いるよりも、トップの右腕としてサポートする役割を担う方が自分の性分に合っていると判断したからです。<br />
経営者に選ばれる参謀役でありたいという思いはいまも変わりませんし、おそらくこの先も変わらないのではないかと思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［13］CXO（Chief Experience Officer）として今後必要なスキルや資質についてはどのようにお考えでしょうか</span></h4>

<p>創業者やCEOが目立つことが多いですが、CXOがチームとして強いかどうかは本来は重要と考えています。強いCXOが揃っていて、連携が出来ている会社はスピードが違う。今の会社でそれを実感しています。<br />
ヒト・モノ・カネというリソースの中で、ヒトが重要な差別性になってきている。CXOはその中の代表格であり、今後はより重視されるようになると思います。</p>

ただ、その求められる資質は、企業の規模によって異なると思います。<br />
当社のように100人程度の規模であれば、CxOが自ら率先して、計画と実行、見直しを2週間程度のサイクルで回すことができますし、自らを営業部門に置いて、現場の課題・可能性を把握する傍ら、売上貢献もできます。<br />
でもこれと同じようなことを、1000名の営業組織でやっても効果は薄いでしょうし、むしろ悪影響のほうが大きいと思います。<br />
いずれにせよ、人はロジックだけでは動かないもの。実際に戦略とオペレーションをワンセットで回せる能力は必要と思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［14］ご自身の今後のキャリアビジョンについて教えてください</span></h4>

売上や利益に責任を持ち、エンバーポイントの成長が確かなものにすることが今のミッションなので、それを完遂するまでは、ここで努力し続けるつもりでいます。<br />
それ以降のことはまだわかりませんが、黒子としてのスキル・キャリアを磨いていきたいと思っています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［15］若い方々へメッセージ、アドバイスをお願いします</span></h4>

<p><a href="/industry/cxo/interview/emberpoint_cxo/photo05.jpg"><img alt="photo05.jpg" src="/industry/cxo/interview/assets_c/2021/04/photo05-thumb-200xauto-4560.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></p>

<p>私もCXOとしてはヒヨコどころかタマゴなので、偉そうなことは言えませんが。。。<br />
一言でいうと、極力「食わず嫌いをしない」ことです。<br />
たとえば自分の意に沿わない仕事やタスクをアサインされたとしても、一端、気持ちを抑えてでもやってみるべきだと思います。</p>

<p>経験が乏しいうちは、どうしても視野が狭くなりがちで安直な判断を下しがちです。<br />
有意義だと思って選んだ道が期待外れだったり、気が進まず歩きはじめた道の先に可能性が広がっていたりすることだって珍しくはありません。</p>

<p>私も「自分がこんな仕事をやる意味あるのか」と思った仕事で得た経験が、今は何よりも貴重な学びに繋がっていることも多くあります。<br />
結局、人は何からでも、誰からでも学べますし、どのような経験も糧にすることができます。自分が進むべき方向性を見出すまでは、安易にNGを出さず挑戦してみてはどうでしょう。思いもよらなかったポジティブな発見や出会いがあるかも知れません。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>岡 昌樹 氏</title>
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    <published>2019-05-28T07:59:41Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:17:36Z</updated>

    <summary>［1］自己紹介をお願いします 大学を卒業して、株式会社第一興商へ入社しました。大...</summary>
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        <category term="CxO" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="岡 昌樹 氏" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="製造業" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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        <![CDATA[<h4><span>［1］自己紹介をお願いします</span></h4>

<p>大学を卒業して、株式会社第一興商へ入社しました。大学時代は電子工学部で、専門がハードウェア寄り。音楽が好きだったこともあり、カラオケで有名な第一興商を選びました。2年勤めた後は、IT企業で働いたりニートの期間があったりしながら（笑）、着うた・着メロ全盛期にテレビ局の着メロサイトを作る中で、モバイルというデバイスに出会ってのめり込んでいきました。</p>

<p>モバイルサービスの一番の魅力は、作ったサービスに対してユーザーからリアクションがあること。カラオケやPCメインの仕事では、サービスをリリースしても、ユーザーにどんな風に使われているのかどんな風に受けとめられているのかが見えにくかったけれど、モバイルになった途端、瞬時に売り上げや利用者数といった数値にダイレクトに反映されることが面白かったんです。</p>

<p>当時はモバイルのエンジニアでしたが、ベンチャー企業だったこともあり、営業も企画も担当していました。エンジニアは、自分たちでしか理解できない独特の言語を使いがちですが、僕は人と話をするのが得意だった。だから、お客さんとエンジニアをつなぐ通訳のような役割も果たしていました。自分としては特別なこととは思っていませんでしたが、"通訳が出来るエンジニア"は希少とされて、エンジニアという枠を超えたディレクターとしてキャリアを積んでいったんです。</p>

<p>その後、2008年9月にリーマンショックが起きるわけですが、その影響が大きくなる前、同年12月にヤフー株式会社へと転職しました。<br />
当時は「何の仕事をしてるの？」と聞かれたら、「モバイルの仕事をしている」と答えるほど、モバイル領域全般の仕事をしていて、エンジニアという自覚もありませんでした。その後、2009年頃にスマートフォンの波がやってきて、エンジニアからプロダクトマネージャーへと立ち位置をコンバートし、とにかく新規アプリを作り続けるという展開に。</p>

<p>3か月に１本新しいプロダクトをリリースするという、ヤフーの中でもかなり特異なチームでした。かなり忙しかったけれど、楽しかった思い出しかないほど、好きなことだけやっていました。思いついたアイデアはなんでも形にできるような感覚すらあって、まさにハックマインドで仕事をしていたような気がします。</p>

<p>そうこうしている間に2012年、ヤフーの経営陣刷新に伴い、ヤフーのトップページアプリの責任者に任命されました。振り返ってみれば、ヤフーへは部下なしのリーダークラスで入社した後に本部長にまで昇進しました。冗談ではなく、あっという間に担当する領域も受け持つ部下の数も広がった感覚でしたね。</p>

<p>プライベートでは子供が生まれましたが、産前産後、妻の調子があまり良くなかったんです。それまではオンとオフの境もないほどに、24時間働いているようなスタイルでしたが、そうはいかなくなりました。思い存分働けない状況になった時、会社は時短勤務でもと、別の働き方を提案してくれたんですが、思い切って退職をすることに決めました。<br />
そしてその後、KDDIへと転職。1年前にグループ会社のmedibaへ異動しCXOとして仕事をしています。</p>

<div class="section">
<h4><span>［2］現在の社内での役割について教えてください</span></h4>

<p><img alt="photo01.jpg" src="/industry/cxo/interview/mediba/photo01.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

<p>便宜上UXデザイナーと名乗ってはいるものの、会社の全ての領域におけるファシリテーションが、自分の仕事だと感じています。僕自身が意思決定をすることはもちろんありますが、意思決定をできる人を増やしていくこと。具体的には、人事システムをはじめとした組織人事全体の企画設計もそう、中期経営計画立案のための合宿企画とそのファシリテーションもそうです。</p>

今期からは、全社の重点KPIに「ユーザー中心目標」という項目を設定し、ユーザーの体験をより良いものにしていく。そのために、どういう行動が賞賛されるものか・されないものかまで明らかにして、組織として個人として行動がしやすくなるようにデザインをしています。KDDIはグループ全体で社員が3万5千名ほどいますが、medibaの東京オフィスは200数十名規模。彼ら彼女らが、ユーザー中心の思考と行動ができるようになり、KDDI全体の中でものづくりの仕事に欠かせない人材となってくれることを目指しています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［3］小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう？ </span></h4>

幼稚園時代から、活発で目立つ子どもでした。例えば、卒園生代表として挨拶をすることを事前に親に話していなくて、式に出席した親が、名前を呼ばれて前に進む僕を見て「え、聞いてないよ！」と驚いたというエピソードもあったほどです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［4］高校、大学時代はどのような学生でしたか？</span></h4>

高校では体育祭の応援団長を務めるなど、目立つキャラクターでした。好かれるばかりではなく敵も多かったですが、嫌われること自体は怖くなく、相手が自分のことを嫌いだとわかっても、相手を嫌いになることもなかったですし、物怖じもせず普通でいられました。今に通じる性格があるとしたら、子どもの頃からリーダーキャラで、周囲の反対があっても突き通したい我の強さみたいなものがあったのかなと思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［5］ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか？　その理由についても教えてください</span></h4>

難しい質問ですね。自分の専門性について、いつ決めたという感覚はないですが、KDDIに入った時にユーザー体験の改善を自分のテーマとした時からUXデザイナーと名乗っています。ユーザーに心地よい体験を提供することは自分の興味が強い分野だと思います。ただし、最も好きなのはプロダクトマネジメントです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［6］専門的スキルは主にどこで獲得したのですか？</span></h4>

<p>ユーザーエクスペリエンスやUXという単語は使っていないし意識もしていませんでしたが、ポータルサイトのアプリ責任者を任されて以降の、ヤフーでの経験だと思います。「ユーザーを知りたい」「ユーザーを知らなければ商品・サービスは作れない」という感覚で、ユーザーへインタビューを行い、現状のサービスを改善するなど、まさにユーザー中心でサービスを作っていきました。</p>

ユーザーは、ヤフーという会社やブランドが好きでポータルサイトを使っているわけではありません。もちろん、ヤフーブランドを愛する人も一定量いるとは思いますが、みんながそうとは言えないという危機感を強く持っていたからこその考えでした。もしも逆に、ヤフーというブランドを信頼しすぎていたり、すごい編集者がいるから問題ないと思い込んでいたりしたら、対応は違ったと思います。でも、極端な表現かもしれませんが、ユーザーを見ているからこそ、「ただそこにあったから」「最初に利用したポータルサイトがヤフーだったから」、利用されているだけなんだとわかりました。ここでの経験により、一層ユーザー中心の考え方を持つようになったと思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［7］リーダーシップやマネージメントに関する経験やスキルは、いつ、どこで獲得したのでしょう？</span></h4>

<p>具体的にどこで獲得したということでもなく、挑戦をして失敗もしながらついてきたスキルのような気がしています。マネージメントとしては、本人の意欲や能力に頼るだけではなく、仕組みで支えることを徹底しています。</p>

<p>現在medibaでは新規事業開発も担当しているので、新規事業を作って伸ばすやり方をハンズオンで実践しています。最初は誰もみんな、何をどうしていいかわからないもの。でも実際に、ブレイクスルーする"アハ体験"をすることが大切なんです。新規事業と言われると身構えて、リリースするよりも机上で考える時間が多いことが大半ですが、まずはリリースしてみてユーザーの反応を見て調整するというサイクルを覚える。そうすれば、良い反応があれば嬉しいしそうでなければ悩むという、健全なネクストアクションにつながっていきます。そして当たり前のことですが、その喜びや悩みの中心には常に、ユーザー視点がある。今少しずつ、そのあり方が根付き始めている感覚です。</p>

多くの会社で、打席に立たせることもなく打率を上げろというメッセージが横行しているようにも見えますが、それは無理な話です。繰り返し実践しないと、型なんて身につくはずがない。medibaでは、新規事業を創出するためにも、今は打席に立つ数を増やそうとしています。具体的には、ユーザー調査を徹底した上で新商品・サービスをリリースすること。今はそれ自体を目標に置いていて、打率は求めていません。とは言え、失敗を許容しているわけでもないんです。ただ、打席に立たなければ成長はしないと思っているので、できるだけ打席に立つ経験を増やすことから始めようとしているだけ。打席に立つことがきちんと型化されて、みんなの当たり前になったら、プロセスを目標にすることはやめて、成果を見ていくつもりです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［8］キャリア形成上の転機があったとすれば、それはいつのことですか？</span></h4>

<p>二点あると思っています。一点目はヤフーで、屋台骨であるポータルサイトのアプリ責任者に任命されて以降の経験です。ヤフー入社後は、新規アプリ開発を行っていたのですが、2012年に経営陣が刷新されたタイミングで、ポータルサイトのアプリ責任者へと声がかかりました。アプリの新規開発をしていた頃から当然、ユーザーインタビューやユーザービリティテストは行っていましたが、ポータルサイトにかかわることが決まった際、あまりにも対象が広範囲すぎて、一体ユーザーが誰なのかがイメージが持てなかったんです。そこで、まずユーザーインタビューを実施して、改善することからはじめたところ、一気に数字が伸びました。そこで学んだことは、自分が想像する範囲やレベルは、思い込みにすぎないということでした。</p>

<p>ちなみに、日本においては、デイリーアクティブユーザーが200万人を超えてくると、電車などで自社の商品・サービスの利用者に出会えると言われています。僕自身、もはや癖になってしまっているのですが、電車での移動中などで、自社サービスを利用いただいているユーザーさんを、ついつい目で追ってしまいます（笑）。ユーザーさんが日常生活の中でどのように、自社サービスを取り入れてくれているのか。その振る舞いの中から、課題を発見することこそが、本当の意味での課題解決につながるという思いが根底にあるからです。</p>

<p>二点目は2011年の3月11日、東日本大震災の経験です。ヤフーのポータルサイトで災害状況を伝えた経験は、まさに全人口がユーザーになったと感じる瞬間でした。これまでは、数十万・数百万人のユーザーを対象として物事を見ていましたが、全人口が対象ユーザーだと思うようになったんです。命に関わる情報を扱っているという意味で、インターネット企業としての責務も感じるようになったことで、視野が広がり視座が上がったと思います。</p>

medibaへ移った後、記録的な猛暑に襲われた2018年の出来事ですが、熱中症で子供が一人亡くなったという報せを受けてすぐに、警笛を鳴らすべきだと、au Webポータルに熱中症情報を載せました。熱中症についてテレビニュースが大きく報じる前のことで、モバイルやインターネット企業だからこその迅速さで、対応できた出来事のひとつではないかと思っています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［9］強く印象に残っている試練やストレッチの経験について教えてください</span></h4>

<p><img alt="photo02.jpg" src="/industry/cxo/interview/mediba/photo02.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></p>

直近ですがKDDIでの経験です。KDDIにおける自分の役割は、プロジェクトを立ち上げてグロースさせていくだけではダメ。個人的な仕事の楽しさだけでいえばすごく楽しいし、むしろ天職じゃないかと思えるほどです。ただし役割が大きくなっている中で、自分だけでなく他の社員たちが、ユーザーを中心に据えて物事を考えて課題解決をしていく状態をつくらなければと考えていました。しかしKDDI在籍中の2年間では、その状態を実現することはできませんでした。会社の仕組みや中間管理職のマインドなどを大きく変革することはできなかったことは、大きな挫折経験だと捉えています。非常に苦しかったですし、今も苦い思いは忘れてはいません。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［10］影響を受けた先輩や、師匠といえるかたはいらっしゃいますか？</span></h4>

ヤフー在籍時代の最初の上司、野崎さんです。自由奔放な僕のことを、見て見ぬふりをして（笑）育ててくれた方です。ただ放任するのではなく、見ているけれど見ていないふりをしてくれたからこそ、思い切った挑戦ができました。野崎さんがいたから今の自分があると思っていますし、すぐに指摘したくなる気持ちを我慢して任せることができるのも、野崎さんのお陰です。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［11］座右の銘や、独自の哲学などをお持ちですか？</span></h4>

ラクスル株式会社のビジョン、「仕組みを変えれば、世界はもっと良くなる」です。物事をより良くするためには、誰か特定の人や事象が悪くて改善しなければいけないのではなく、仕組みに着目するべき。仕組みが変われば世の中が良くなるというのはまさに、エクスペリエンスデザインの本質だと思っています。この言葉がすごく好きですね。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［12］感動し、影響を受けた本や映画などがあれば教えてください</span></h4>

是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』です。死後の世界を描いた映画で、成仏する前にひとつだけ生前の思い出を持っていけるという内容ですが、自分の人生で選ぶとしたら何だろうと思いながら観ています。ただ、何度観ても「ひとつなんて選べない」が結論です。この映画を超える映画にはまだ出会っていないほど、大好きで繰り返し観ている映画です。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［13］CXO（Chief Experience Officer）として今後必要なスキルや資質についてはどのようにお考えでしょうか</span></h4>

様々なスキル・資質があると思いますが、ひとつ挙げるとしたら倫理観でしょうか。テクノロジーの発達に伴って、言葉を選ばずに言えば、簡単に顧客を騙してコンバージョンレート（CVR/ウェブサイト に訪れた人のうち、最終成果に至った人の割合）を上げることもできるようになります。だからこそ、自分たちの持つ影響力の強さを認識した上で、倫理観を持って仕事ができるかどうかが最も大切になると思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［14］ご自身の今後のキャリアビジョンについて教えてください</span></h4>

もう一度、自分の好きなプロダクトに対して、時間も何もかも気にせず没入したいですね。今も毎朝、趣味のようにグーグルアナリティクスを見ているんですが、ユーザーの行動分析から新たな発見をして、またサービスに反映させる。こういったものづくりに、どっぷり浸かりたいです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［15］若い方々へメッセージ、アドバイスをお願いします</span></h4>

<p>ユーザー中心の考え方を持つことで、自分の価値観だけで物事は測れないことを知り、アウトプットしてくれる人が増えたらと願っています。そのために、自分が貢献できることは何でもしたいと思っています。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>浅沼 尚 氏</title>
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    <published>2019-05-28T05:05:26Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:17:30Z</updated>

    <summary>［1］自己紹介をお願いします 小さい頃から絵を書くことや工作は好きでしたが、将来...</summary>
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    <category term="japandigitaldesign株式会社" label="Japan Digital Design 株式会社" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<h4><span>［1］自己紹介をお願いします</span></h4>

<p>小さい頃から絵を書くことや工作は好きでしたが、将来の仕事については特に具体的なイメージはありませんでした。大学進学のタイミングでも、将来のイメージはぼんやりしたまま慶應義塾大学の理工学部に推薦入試で進学しました。学科は漠然とモノづくりに関わる仕事をしたいなと思って機械工学科を選択。しかし、大学に通ってみて、機械工学科で対象とするモノづくりと当時私が考えていたモノづくりとが違うことに初めて気づきます。私が思い描いていたモノづくりは、自分で何か課題を見つけてそれを解決するようなアイデアをカタチにすることであり、決められた仕様や性能を前提に設計することではありませんでした。</p>

<p>商品開発プロセスは一般的に上流工程と下流工程があり、エンジニアは主に下流工程の設計を担っていること、上流工程においてカタチを定義するインダストリアルデザイナーという職業があることを、大学入学後に知りました。当時インダストリアルデザイナーになるためには、美大や専門のデザイン学科を卒業するのが一般的でしたので、一時は美大を再受験することも考えました。</p>

<p>そんな折、慶應大学の大学院に日産のデザイン部門出身の教授がいることを知りました。迷うことなくその教授の研究室に入り、インダストリアルデザイナーを志しました。大学院では設計理論の研究を行いながら、デザイン専門学校に通いインダストリアルデザインの基礎を学びました。しかし、いざデザイナーとして就職先を探してみるとそう簡単にはいきませんでした。</p>

<p>2000年当時は工学出身者がインダストリアルデザイナーを志望すること自体が稀だったこともあり、大手企業において工学出身者はそもそもデザイナー採用の対象にもなりませんでした。複数の大手メーカーの採用窓口に問い合わせましたが、なかなか良い返事を頂けませんでした。最終的には大学院の教授の援助により、なんとか東芝のデザイン部門の採用試験を受けることができました。美大やデザイン学科出身者に混じって運良く採用試験をパスすることができたというのが社会人スタートまでの経緯です。</p>

<p>私が入社した当時は、日系メーカーはグローバル市場においてもまだまだ競争力があり、最先端のプロダクトを開発し世界市場に提供していました。東芝はデジタル製品、白物家電、医療機器、インフラシステム等、幅広い分野でデザインを行うことができるインダストリアルデザイナーにとって大変やりがいのある魅力的な環境でした。若手デザイナーでも様々な製品デザインを経験できる仕組みや文化があり、映像機器から家電まで多様な製品開発においてコンセプト提案から量産開発まで幅広くデザイン経験を積むことができました。また、関わった製品では、国内外で多くのデザイン賞を受賞することもできました。</p>

<p>その後、北米にある東芝のグループ会社へデザインディレクターとして赴任しました。配属は映像事業のマーケティング部門。当時は韓国メーカーがデザインや機能面でも市場をリードし始めていた時期。日本市場とは異なりデザインに対する期待や責任はとても大きく、業務も広範囲を任されました。現地のマーケティング責任者のもとで、リサーチやデザイン提案だけでなく、現地の営業、調達、製造、品質管理、リスク管理部門との調整や、欧州やアジアといったデザイン担当者との連携を行なっていました。</p>

<p>北米での駐在生活やビジネス経験は、自分の視座を大きく上げたとともに今後のキャリアを見直す一つの転機になったと思います。2015年に映像事業は北米市場から撤退することになったのですが、海外での生活やデザイン業務は、日本とは異なる文化を肌で感じて理解する貴重な経験であり、価値観の形成にも大きく影響を与えたと思っています。</p>

<p>日本に戻ってからは、本社のコーポレートブランディングやデザイン組織の戦略立案、デザイナーの採用や育成などに携わり、経営的な視点で業務を行う貴重な機会を頂きました。一方で、ビジネストレンドがモノからデジタルサービスへと大きく変化するなか、次のキャリアステップとしてデジタルサービスのデザインディレクションを経験できるような機会を社内で模索しましていました。</p>

<p>しかし、残念ながら当時は私が希望するような選択肢は社内にはありませんでした。長年働いてきた会社を離れるのには大きな決断が必要でしたが、最終的に新たな環境で挑戦することを選択し、デジタルサービスの体験設計においてグローバルで多くの実績があるTigerspikeにUXデザイナーとして入社することに決めました。東芝を離れる際にお世話になったデザイン部門や事業部の多くの方々が新たな挑戦を応援してくれたことは本当に感謝しています。</p>

<p>Tigerspikeでは、コンサルティング業務を通じて、様々な業界においてインハウスデザイナーが必要とされていることを実感しました。メーカーでは大企業から中小企業までインハウスデザイナーという職種は一般的ですが、金融、保険、小売、流通、航空会社などの業界では、日本の場合、大企業であってもインハウスデザイナーの必要性がまだ認識されていない状況です。このことに強い問題意識を持つようになりました。</p>

<p>また、企業カルチャーを最重視するTigerspikeでは、企業における組織づくりの大切さも学びました。どうすればデザイナーをはじめとした社員の能力が最大限に発揮されるか、魅力的な企業カルチャーをつくる意義は何かを実体験として学ぶことができました。自由で働きやすい環境のなか、バックグラウンドが異なる優秀なメンバーと一緒に質の高いデザイン業務ができたことは、本当に素晴らしい経験でした。</p>

<p><img alt="photo01_3.jpg" src="/industry/cxo/interview/jdd/photo01_3.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

<p>Tigerspikeで複数のクライアント企業と一緒に仕事をしているなか、MUFGが立ち上げたJDDからデザイン責任者のポジションについて話しを頂きました。JDDで代表を務める上原（代表取締役CEO）から、「金融は目的でなく手段。既存の金融サービスの枠組みにとらわれず新たな金融体験を創りたい。」という強い想いとAI研究所の設置やエンジニアリング部門の拡大といった思い切った施策を聞いて、直感的にデザイナーが新たな価値を創出できる環境を作れると感じました。また、ソリューションをデジタルに限定せず、ハードウェアも対象としていることも、新たな体験を創り出すという観点で大きな可能性を感じました。</p>

<p>Tigerspikeでの仕事が充実していたので迷う部分もありましたが、非製造業におけるインハウスデザイナーの必要性という課題意識も後押しとなり、最終的にJDDでの新たなミッションに挑戦することを決断しました。まずは2018年5月からプロジェクトに関わり、2018年9月からChief Experience Officerとして新規プロジェクトや社内の体験デザインならびにデザイン組織マネジメント業務を行っています。</p>

<div class="section">
<h4><span>［2］現在の社内での役割について教えてください</span></h4>

<p>ミッションは大きく2つあります。1つ目は、新規事業やMUFGが有するデータを活用したAIソリューションにおけるCustomer Experience（顧客体験）の設計です。リサーチ設計から始まり、機会領域の定義、ソリューションコンセプト創出、そしてプロトタイプの開発と検証までサービス開発の上流から下流まで全体を通して関与することになります。</p>

2つ目は、社内におけるEmployee Experience（従業員体験）の設計です。新規事業を創り出すことは口でいうほど簡単ではありません。一定の成果が出るまではしんどいことばかりと言ってもいいと思います。だからこそ、そのしんどさをポジティブな力に変換できるような組織や環境づくりが大切だと思います。個人のモチベーションやスキルだけに委ねるのではなく、組織として個人をモチベートしたり能力を引き出したりする環境を作ることが自分の役割だと思っています。試行錯誤を重ねながらではありますが、外部の専門家の力をお借りしながら、業務プロセスの改善、オフィス環境の整備、社内活動の導入を行なっています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［3］小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう？ </span></h4>

運動神経が良く活発な子供だったと思います。小学生から高校生までバスケットボール部に所属していてキャプテンを任されていました。小学生の頃はまとめ役というよりも自己中心的なタイプで、周り厳しく接してしまうことも多かったと思います。小学生時代に先生や親に何度も諭されて、このとき初めて勝負に勝つためには自分個人の力だけでなく、チームとしての力が大事だと学びました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［4］高校、大学時代はどのような学生でしたか？</span></h4>

高校生時代は部活漬けの生活だったと思います。引き続きバスケットボール部に所属していて肉体的にも精神的にもかなり鍛えられました。（東京都立）国立高校は文武両道の精神を掲げていたのですが、勉強はそこそこで部活に没頭していました。勉強がずば抜けてできたわけではありませんでしたが、ありがたいことに内申点の評価が高かったので、推薦入試を受けることができました。インタビューの最初にお話しましたが、モノづくりに興味があったこともあり、あまり深く考えないまま慶應義塾大学の理工学部の推薦入試を受けて進学を決めました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［5］ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか？　その理由についても教えてください</span></h4>

最終的には大学3年生のときです。大学3年生のときに、GKインダストリアルデザイン（株式会社 ジイケイデザイン機構）で車両デザインをしている菅さんの講義を受講して、インダストリアルデザイナーを目指そうと決めました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［6］専門的スキルは主にどこで獲得したのですか？</span></h4>

東芝に入社して実務を経験しながらだと思います。デザイン実務では創造性や造形力だけではなく、理解力、コミュニケーション力、プレゼンテーション力といった総合的な能力やスキルが必要とされます。私が東芝に入社した頃は、主要な製品におけるデザイン案の選定が全て社内コンペ形式で行われたので、新人デザイナーもベテランデザイナーと同様の総合的なデザイン力が求められました。大きな組織のなかでこのような機会があったからデザイナーに必要とされる能力やスキルを身につけることができたと思いますし、このときの経験が今でもデザインを行うえでの基礎になっていると思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［7］リーダーシップやマネージメントに関する経験やスキルは、いつ、どこで獲得したのでしょう？</span></h4>

リーダーシップに関しては部活動での経験が大きかったかもしれません。常にチームをリードする立場にあったので、そのなかで自然に身についた感じがします。マネージメントに関しては海外でのデザインディレクションとコーポレート部門でのデザイン組織運営を通じてだと思います。両者とも自分のチームだけでなく複数の組織を横断するプロジェクトをマネージメントすることが多く、この時期にマネージャーとしての人間力や基本スキルが身についたと思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［8］キャリア形成上の転機があったとすれば、それはいつのことですか？</span></h4>

<p>2つあります。1つはアメリカ赴任の時です。東芝のグループ会社ではありましたが、企業文化も業務プロセスも全く違う環境のなかで、各国の事業部門、開発部門、マーケティング部門の方々と連携しながら、ビジネス全体を俯瞰してデザインディレクションを行えたことは本当に貴重な経験でした。日本とは異なる環境のもと、ビジネスに近い立場で責任を負いながらデザイナーとして成果を出せたことは、大きな自信につながってます。アメリカでの実務経験は、その後の自分の仕事に対するスタンスやデザインアプローチに大きく影響していると思います。</p>

もう1つは社会人の時に博士課程に進学した時です。2足のわらじというかたちでしたが、やはり自分が納得できるような成果はなかなかでませんでした。結果的に6年も大学に通うことになり、周囲にかなり迷惑をかけながらなんとか学位を頂くことができました。この時の経験があるので、当面はデザイン実務に集中するようにしています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［9］強く印象に残っている試練やストレッチの経験について教えてください</span></h4>

思い返すと試練といえるような大げさなものはなかったかなと思います。ストレッチという感覚も特にないのですが、あえて挙げるとしたら、東芝在籍中に社外のデザインコンペへ作品を応募したことです。現状に甘んじず高い目標を立てるという意図よりも、当時はデザインを続けるなかで何か客観的な指標になるようなものが欲しかったんだと思います。結果として2つのデザインコンペで最優秀賞を頂きました。社外でも一定の評価を得られたことで、自分のなかでデザイナーとしてのある程度のアイデンティティが確立できたと思ってます。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［10］影響を受けた先輩や、師匠といえるかたはいらっしゃいますか？</span></h4>

デザイン実務に関して言うと絞り込むのは難しいですね。大学や東芝時代に出会った多くの方に影響を受け、デザイナーとして、そして人として多くのこと学ばせてもらいました。<br />
デザイン実務以外で挙げるとすると、自分の父親と茶道の先生です。2人共70歳近い年齢ですが、常に他者のことを考え、自らの経験を社会に還元すべく生涯現役を貫いています。その生き方や姿勢を見ているといつも背筋が伸びますし、自分もそうありたいと思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［11］座右の銘や、独自の哲学などをお持ちですか？</span></h4>

<p>座右の銘は特にないのですが、意識していることは幾つかあります。若いときには「失敗しても必ず取り戻す」と決めて結果に執着してました。特に「手を抜くことがクセにならない」ように、やると決めたら何事にも徹底してやることを意識してました。ある程度裁量を持って仕事をできるようになった30代では、まず「失敗から学ぶこと」を意識してました。そもそも挑戦しないと失敗することもないので、今まで経験したことないことに挑戦することを大事にしていました。</p>

<p><img alt="photo02.jpg" src="/industry/cxo/interview/jdd/photo02.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></p>

<p>つぎに、「独自の視点を持つこと」を意識していました。ビジネスとデザイン。ハードウェアデザインとデジタルデザイン。マネジメントと実務。日本文化と海外文化。異なる軸を自分のなかに併せ持つことで自分らしい観点を持てるように意識して仕事をしていました。</p>

今は常に「問う」ことを大事にしています。今までの経験がバイアスになることはできるかぎり避けたい。今までの経験を過信しないで、可能な限りフラットな状態でデザインに取り組みたいと思ってます。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［12］感動し、影響を受けた本や映画などがあれば教えてください</span></h4>

本や映画では無いですが、幼少時は動物や天体の図鑑、LEGOが大好きで、たぶんこの頃の体験は、自分の好奇心や創造性に大きく影響を与えていると思っています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［13］CXO（Chief Experience Officer）として今後必要なスキルや資質についてはどのようにお考えでしょうか</span></h4>

代表の上原に言われたことが印象に残っています。「やめる」意思決定をすることが大事といった言葉です。何か新しいことを「はじめる」ことより、始めたことを適切なタイミングで「やめる」ことの方が難しい。この能力を磨くためには、大小含め今のポジションでの意思決定を積み重ねながら鍛錬するしかないと思ってます。あとはCXOというポジションはまだロールモデルが少ないので、CXOがどんな役割を担って、会社に何をもたらす存在かを社内外に発信することも大事だと思ってます。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［14］ご自身の今後のキャリアビジョンについて教えてください</span></h4>

<p>まずは、今の立場で自分で納得できるような成果を出すことが直近のキャリアビジョンです。デザイン実務の観点では、デジタル化が進むなかで排除されがちなデジタルリテラシーが高くないユーザーでも、自然に使えるようなサービスの創出に積極的に取り組んで行きたいと考えてます。</p>

「インクルーシブデザイン」のようなアプローチはサービス設計においてまだまだ一般的ではないですが、社内のデザインプロセスの一つとして定着させたいと考えてます。<br />
また、若いデザイナーの方々が活躍できる場をつくることも私のミッションだと思ってます。JDDをそういう場にしたいと思ってますし、将来的にはJDD以外でもそういう場を作れればと思ってます。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［15］若い方々へメッセージ、アドバイスをお願いします</span></h4>

<p>私が言うのもおこがましいですが、まずは目の前にある課題に対して謙虚に手を抜かずにやり切ることが大事かなと思ってます。その上で、失敗することを恐れす自分の直感を信じて挑戦してみる。デザイナーに限らず、若い方々には自分の可能性を信じてのびのびと仕事をしてほしいと思っています。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>渡邉 英右 氏</title>
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    <published>2019-03-06T05:00:00Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:17:19Z</updated>

    <summary>［1］自己紹介をお願いします 私は米国のコミュニティカレッジにいる頃からネットを...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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        <category term="CxO" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="渡邉 英右 氏" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="製造業" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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        <![CDATA[<h4><span>［1］自己紹介をお願いします</span></h4>

<p>私は米国のコミュニティカレッジにいる頃からネットを使って学費を稼いだりしていました。卒業をするとそのままITの世界で働き始め、日本マイクロソフトでは価値ある経験をさせてもらいました。ただ、シアトルの本社とやりとりをする機会が増えていくうちに、優秀なアメリカの同僚が皆MBAホルダーだということを知って気持ちが動き、一橋大学のビジネススクールに通うことにしたんです。</p>

<p>マイクロソフトでも、年齢や学歴に関係なく自由にやらせてもらいましたが、ビジネススクールではまったく異なるバックボーンの学友たちとの交流から非常に大きな刺激を受け、自分自身の将来像などを俯瞰的に見つめる良い機会になりました。MBA取得後はカタリナマーケティングやテラデータ等で、デジタル関連の業務に携わり、組織をゼロから起ち上げていくような経験をすることもできました。</p>

<p>2016年になると、サラ・カサノバさんがCEOに就任して、大胆な経営変革を実行していた日本マクドナルドから声をかけてもらい、足立光さん（当時CMO。現在は米国ナイアンティック社アジアパシフィック プロダクトマーケティング シニアディレクター）率いるマーケティング本部のデジタルエンゲージメント部という部門でデジタルマーケティングによる改革などをやらせてもらいました。</p>

<p>いわゆる事業会社で働いた経験や、そこでV字回復を成し遂げたチームの一員を務めたことは自信にもつながりましたが、大きな会社が変革を目指す場合に、そうそう簡単には効果が短期的に現れては来ない現実も、学習することになりました。</p>

<p>ミツカンホールディングス（以下、ミツカン）からCDOのお話をいただいた時にも、大規模な事業会社におけるデジタル変革の難しさは頭に浮かんできたのですが、お話をさせてもらう内に、考え方が変わっていきました。</p>

<p>ミツカンは日本人なら誰でも知っている歴史ある企業です。長い年月を生き抜いてきた会社には、どうしても保守的なイメージを持ってしまいがちですが、よく考えてみれば「常にその時代ごとの変化に適応してきた」から長続きしているのだとも言える。事実、ミツカングループのチーフオフィサー・クラスのかたがたは、40〜50代という若さ。聞けば、戦略的に少しずつ若返りを図った成果なのだということ。</p>

<p>米国に本社があるような企業ばかりで働いてきた私には、こうした「長期的に変革を形にしていく姿勢」が素晴らしいものだと思えたんです。今回のデジタル変革についても、大胆さを期待しつつも、きちんと地に足の着いたものにしていきたい、という経営陣の意向があるとわかったので、CDO就任のお話をお受けすることにしたんです。</p>

<div class="section">
<h4><span>［2］現在の社内での役割について教えてください</span></h4>

<p>私のCDO就任と同じ2018年11月に、ミツカンは「<a href="http://www.mizkan.co.jp/company/newsrelease/2018news/181115-00.html">ミツカン未来ビジョン宣言</a>」を発表しています。そこでは、10年先の未来に向けた基本理念が示されているのですが、このビジョンに則って、私が担うデジタル変革も進めていこうとしています。つまり、短期的にいくつかのデジタル関連プロジェクトを進める、というような取り組みだけではなく、ミツカングループ全社を変えていく、というスケールの大きなミッションを担わせてもらっているわけです。</p>

<p><img alt="photo01.jpg" src="/industry/cxo/interview/mizkan/photo01.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></p>

<p>営業のあり方だったり、マーケティングの手法だったり、バックオフィスの働き方だったり、社内の隅々をデジタルによって変えていくのが使命ですから、かなり大規模なロードマップが出来上がってもいます。生活者とのエンゲージメントのために、生活者を主語にした発想でデジタルマーケティングを打っていく動きもあれば、ロジスティクス領域の運送費問題解決のためにルート最適化をデジタル技術で行っていく動きなどもあり、いろいろと動き始めています。</p>

<p>ただし、CDO就任時に弊社の代表とも約束をしたのですが、私がまずやるべきことは「この会社のかたたちと仲良くなること」だと考えています。外から入ってきたチーフオフィサーが得意分野で何か専門性を発揮すればそれでいい、とはミツカンの経営陣も私自身も考えてはいません。一緒にこの会社をもっと良くする、もっと面白くするために私はここにいると考えています。</p>

中にいる人たちをその気にさせるのが役割なのですから、「仲良くなる」のはとても大事な仕事。今後はデジタル変革のためのチームも編成していきますが、外部からの人間は原則として私だけ。あとはミツカンの社内から集まっていただき、一緒に変革を成功させたいと願っています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［3］小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう？ </span></h4>

岐阜の田舎に生まれ育った、どこにでもいるやんちゃ坊主だったと思います。親も放任主義でしたから、野球やドッチボール、釣りに昆虫採集に、という具合に遊びまくっていました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［4］高校、大学時代はどのような学生でしたか？</span></h4>

<p>遊びに夢中だったわりに成績は良かったので、高校では進学校に行ったのですが、突然まわりがデキる子ばかりになったこともあり、成績は上から数えて300番目（笑）というようなどん底を味わいました。</p>

さすがにマズイと思って、必死で勉強したら20番目くらいまで這い上がることはできたのですが、大学受験では浪人を経験。親からの勧めもあって、米国シアトルのコミュニティカレッジへ留学することにしました。学問での収穫以上に、大きかったのが、自己流のネットビジネスをアルバイト感覚で始めたところ、それがうまくいき、インターネットの醍醐味を知ったことでした。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［5］ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか？　その理由についても教えてください</span></h4>

<p>ITやインターネットが持つ魅力に惹かれたのは、米国での学生時代ですが、その後、複数の会社で上司や同僚にも恵まれて、様々な役割をやらせていただく中で、自分の能力を伸ばしていくことができました。キャリアの大部分はITやデジタル関連の仕事だったのですが「結局のところ、自分が価値を出せる専門性とは何なのか」がはっきりしたのはわりと最近です。</p>

カタリナマーケティングや日本マクドナルドのように、売場や店舗といったリアルな局面とネットとをまたいで行うような分野で働いた時、最も価値を出すことができたように感じていますし、私が追求していくべき領域もそこにあるのだと思っています。今後もネットの中で完結してしまうような世界ではなく、リアルなお客様や、そのお客様と接していくかたたちを意識しながら、デジタルが持つ力や機能を活かしていきたいと思っています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［6］専門的スキルは主にどこで獲得したのですか？</span></h4>

<p>マイクロソフトなどでプログラミングを経験したことは、非常に大きかったと思っています。リアルなビジネスにITやデジタルを活かしていく時代だからこそ、その基本であるプログラミング言語やテクノロジーの仕組みを多少なりとも知っていることが生きてきます。</p>

最近では日本の経営者層もプログラミングを学び始める傾向が出てきていますが、素晴らしいことだと思います。今後もしもCDOやCTOのように技術をベースにしながら経営にも携わっていきたいと考えているかたには、今からでも遅くないのでトライしてほしいと思います。想像以上の気づきや学びがありますので。また技術者の身になって考えることもできるようになります。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［7］リーダーシップやマネージメントに関する経験やスキルは、いつ、どこで獲得したのでしょう？</span></h4>

正直に言いますが、私自身のリーダーとしての能力は、これから経験を重ねて伸ばしていかなければいけないと考えています。ただ、これまで在籍した複数の企業で、非常に尊敬できるリーダーに出会えたこと、そして若いうちからチームを任せてくれるような環境に多くいたことは、成長につながったと思っています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［8］キャリア形成上の転機があったとすれば、それはいつのことですか？</span></h4>

ITやデジタルの領域で生きていくことにつながったのは、マイクロソフトで得た経験からでした。そして、「リアルとデジタルをつなぐ」局面に自分の価値を見いだすきっかけになったのは、カタリナマーケティングで、日本全国の流通小売のお客様や消費財メーカーのお客様とデジタルについての会話をたくさんさせて頂いた事が、今でも財産になっています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［9］強く印象に残っている試練やストレッチの経験について教えてください</span></h4>

<p><img alt="photo03.jpg" src="/industry/cxo/interview/mizkan/photo03.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></p>

<p>たくさんあり過ぎてどれか1つを挙げることができません（笑）。とにかく、新しいことにチャレンジしたい人間でしたから、非常に数多くの会社で、多様な役割を経験してきましたし、ほとんどが新しいことへの挑戦でしたから、いつも試練を味わっていたようなものです。</p>

ただ、本当にありがたかったのは、すべての職場が、私のようなチャレンジャーを認めてくれる風土を持っていたことです。そういう意味では、今チャレンジのチャンスをくれているミツカンもまた、良い意味での試練の場だと考えているところです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［10］影響を受けた先輩や、師匠といえるかたはいらっしゃいますか？</span></h4>

<p>たくさんのかたに影響を受けましたが、特に強烈だったのは、日本マクドナルドで出会った2人です。1人は直接の上司でもあった足立光さん。とにかく、二極のバランスを絶妙にとれるかたなんです。例えば理想と現実、ロジカルとクリエイティブ、というように双方を共存させなければいけないけれども、互いに対極にある存在で、なかなかバランスをとりにくいものを、うまく共存させていく。その妙技に感動しつつ、影響を受けていきました。「ゴールは何か」にこだわるかたでもありました。そこをブレずに追求する働き方も、お手本にさせてもらいました。</p>

もう1人はCEOのサラさんです。経営を任された頃の日本マクドナルドは、本当にピンチだったのですが、冷静に現実を受け止めながらも「変われる」と発信し続けて、大人数を巻き込んで変革を成し遂げてしまいました。このかたの強さにも大いに学ばせてもらいました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［11］座右の銘や、独自の哲学などをお持ちですか？</span></h4>

座右の銘のようなものは持っていません。向き合っている課題次第で、その都度こだわる姿勢や考え方を変化させてきたと思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［12］感動し、影響を受けた本や映画などがあれば教えてください</span></h4>

本や映画は好きですし、ビジネスの観点でも有意義だと思っているのですが、何に最も感動するのかというと、田舎育ちのせいか（笑）自然が見せてくれる風景なんです。例えばカナディアンロッキーの雄大な情景などに遭遇すると、感動しますし、パワーをもらえた気持ちになれます。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［13］CxOというキャリアの将来性や、今後期待される役割について、どうお考えですか？</span></h4>

<p>CxOには、2種類あると考えます。1つはCEOやCFOのように、これまでの組織においても違う名称で誰かしらがその機能を果たしてきたもの。もう１つがCDOのように、時代の要請もあって新しく生まれてきたものです。</p>

<p>専門性をもって経営に貢献していくチーフオフィサーの存在は、今後も変わらずに重要であり続けると思いますが、後者の新しく生まれてきたCxOの中には、この先、例えばCOOやCMOの役割の一部となっていくものもあると思います。</p>

特にデジタルについていえば、2019年の今は新しいものとして扱われていますが、かつてのITが時とともに経営に使われるのが当たり前になったように、デジタルもまたそういう位置づけになるはず。そうなれば、いつかはCDOが良い意味で必要なくなる企業もあるでしょう。大切なのは企業という組織が、いかに新しい価値をインテグレーション、つまり融合させていけるか否か。それを成功に導くのがあらゆるCxOの重要な役割だと考えています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［14］ご自身の今後のキャリアビジョンについて教えてください</span></h4>

<p>キャリアビジョンをどうするか、という前に、今の私にはやるべきことがたくさんあります。まずはそれらと向き合っていきたいと思います。長期的な視点で変革を起こそうとしているミツカンの姿勢に強く共感しているのは、さきほども申し上げた通りですが、だからこそ、私としてはQuick Winを重ねたいと思ってもいます。</p>

<p>つまり、社内の様々なところで小さくてもいいからデジタルを使った成果を重ねていく。そうすることで多くの社員の意識の中に「いろいろできることがあるじゃないか」というポジティブな気持ちを喚起していきたいんです。</p>

自分自身のキャリアのこれからについては、一連のミツカンでのチャレンジが続くうちは、具体的になっていかないと思いますが、親が学習塾を営んで教育に携わっていた影響もあってか、なにか人の成長につながるような役割に就いていけたらいいなあ、と思ってはいます。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［15］若い方々へメッセージ、アドバイスをお願いします</span></h4>

<p><img alt="photo02.jpg" src="/industry/cxo/interview/mizkan/photo02.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

<p>メッセージは3つですね。1つめは「若いうちにできるだけ『出る杭』になりましょう」です。私自身のこれまでのキャリアパスが良い参考例になるかどうかはわかりませんが、とにかく「成功するキャリア」が何なのか、よくわからないまま、興味がわいたものに手を出していきました。</p>

<p>考え込んでいるくらいならば、とにかく動いて経験して、少々目立った「出る杭」になってもいいから、そこで得たものを積み重ねていけば、自然と進むべき道も見えてくると思うんです。</p>

<p>2つめのメッセージは「グローバルな視点を持ちましょう」です。私などは大学受験に失敗して、成り行きで米国に行ったりしたことが、むしろ良い経験につながったのですが、その後も複数の外資系企業で働いたことから、グローバルな視点の基準みたいなものを肌で知ることができました。</p>

<p>日本で昔から根づいてきたものとは明らかに違うものがそこにはあります。端的に言えば、発言権の取り合いみたいな様相が、常にあるんです。これからは国内市場がシュリンクしていくわけですから、どんな企業に入ろうとグローバル基準で働くことになります。そこで価値を出していくための視点や姿勢は、誰にとっても必須になるはずですから、意識を高めて獲りに行ってほしいと思います。</p>

<p>3つめのメッセージはITやデジタルに携わる場にいるかたがたに向けてです。「リアルなものや場面にもっと目を向けましょう」と言いたいですね。例えばCDOになるにせよCMOやCIOになるにせよ「技術やデジタルに精通していれば通用する」なんてことはあり得ません。テクノロジーで何かを変えようとする時には、必ず人間が介在します。AIなどの技術がどんなに進化しても、それは変わらないはずです。</p>

リアルを知り、人間を知る者こそが、デジタルをはじめとするテクノロジーを価値あるものにすることができるのだと私は確信しています。ぜひ、リアルとデジタルの両方に同じように目を向けて、自身を成長させてほしいと思います。<br />
</div>]]>
        
    </content>
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    <title>加藤 昭仁 氏</title>
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    <published>2019-02-25T00:00:00Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:17:13Z</updated>

    <summary>［1］自己紹介をお願いします 学生時代からITに関わる仕事を志向していた私ですが...</summary>
    <author>
        <name>admin</name>
        
    </author>
    
        <category term="CxO" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="加藤 昭仁 氏" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="製造業" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="ニッセイ・ウェルス生命保険" label="ニッセイ・ウェルス生命保険" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://career-incubation.co.jp/cxo-interview/">
        <![CDATA[<h4><span>［1］自己紹介をお願いします</span></h4>

<p>学生時代からITに関わる仕事を志向していた私ですが、1990年代半ばの日本は、バブルがはじけた影響もあって、就職氷河期と言われていました。ですから、大手IT企業やベンダーに入りたくても、なかなか叶わない状況だったのですが、他方で消費者金融企業は不況時におけるそもそもの強みばかりでなく、自動契約機の普及によって業績を急速に伸ばしていたんです。私としては独自のテクノロジー活用に魅力を感じたこともあり、プロミス（現SMBCコンシューマーファイナンス）に入社し、IT部門の一員として経験を積んでいきました。</p>

<p>急成長する業界のトップ集団で先進的な技術に一通り触れたことは、その後の私にとっても大きな財産となったのですが、グレーゾーン金利の問題などが徐々に指摘され始める中で、業界全体がビジネスモデルの修正を求められるようになり、各社、メガバンクグループ等との連携関係を年々強化していくようになりました。</p>

<p><img alt="photo01.jpg" src="/industry/cxo/interview/nwlife/photo01.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></p>

<p>特に不満を感じたわけではなく、任されている仕事にもやりがいを感じてはいたのですが、業界再編の中、異なるフィールドで経験を積んでも良いのではないかと、徐々に考えるようになり、チューリッヒ保険への転職を決めたのです。</p>

<p>同じ金融業界とはいっても、まったく異なるビジネスモデルの保険会社。しかも典型的な日本企業文化ともいえる環境から外資系企業への転職でしたから、当初は相当戸惑いを感じていました。それでもインフラ領域の一担当者からスタートをして、運用面の部門長、開発の部門長を経て、最後はIT統括本部の副本部長までやらせてもらうことができました。この時期にCTO的な役割を経験できたことが、後々非常に役立っていると思います。</p>

<p>また、この時期に結構タフな役目も経験しましたので、マネージメントや経営というものをきちんと学ばなければ、という意識も芽生えていきました。そうなるとこれまで事業会社の一員としての経験しか持っていないことが気になるようになり、違う立ち位置で学べる環境を望む気持ちも膨らんでいったんです。そうして決意したのがIBMへの転職でした。</p>

<p>それまでプロミスで12年間、チューリッヒで9年間を過ごしたのに比べ、IBMにいた期間はごく短いのですが、コンサルタントとして主に日本の保険会社の経営層と向き合えたことは大きな学びになりました。組織の内側にいたらかえって見えづらい経営上の問題点の存在にも、外側にまわったことで気づくことができたのです。そうそうたる企業の経営陣を相手にコンサルティングを行っていくわけですから、ありきたりのインサイトや提案では通用しません。大いに鍛えてもらえた1年間でした。</p>

<p>そして2016年、ニッセイ・ウェルス生命（旧マスミューチュアル生命）からシステム管理部門の部門長就任のオファーをいただき、入社を決め、システム全般に関わりながら、経営にコミットする仕事を担うようになっています。</p>

<div class="section">
<h4><span>［2］現在の社内での役割について教えてください</span></h4>

<p>ニッセイ・ウェルス生命が旧マスミューチュアル生命の時には、シニアの富裕層にフォーカスをした特徴的なビジネスモデルを全面に押し出していましたし、基本的な方向性は今も変わっていないのですが、日本生命のグループ傘下に入ったことで、販売チャネル拡大を通じ、今まで以上に顧客層を広げることが、社としてのミッションになっています。事業規模は急速に拡大し、成長スピードも加速しているわけですが、CTOとして私が果たすべき役割は、そうした急拡大に耐えうるシステムと仕組みと組織の確立を達成することにあります。</p>

<p>保険会社のテクノロジー・オフィサーということから、最近話題のインシュアテックという先端動向について話を聞かれることもあるのですが、そうした技術面の課題以上に、経営上の地盤固めにおいて、CTOとしてどう貢献していけるか、というのが現状の私のミッションだと捉えています。</p>

</div>

<div class="section">
<h4><span>［3］小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう？ </span></h4>

絵に描いたような「ガキ大将」だったと思います。自分で言うのも難ですが、やんちゃ坊主でろくに勉強をしなかったくせに成績も良かったですし、人をとりまとめるような役割が子どもの頃から好きだったこともあり、学級委員長など「長」の付く役職はたいてい経験しました。中学に進んで、ハンドボール部に入ってからも、同じようなポジションにいましたが、茨城という土地柄、ヤンキー気質の中高生も多く（笑）、そういう連中にも多少は染まっていきながら、ガキ大将キャラを続けていました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［4］高校、大学時代はどのような学生でしたか？</span></h4>

<p>中学に通う頃からバンド活動を始めたのですが、高校に入ってからはすっかり夢中になりました。大学進学を考える時にも、真剣に音大を目指そうかと思ったほどでした。本当に真面目に自分の将来を考えた結果「どうしてもミュージシャンになりたい」というよりは「どんな形でもいいから、音楽に関わる仕事に就きたい」というのが自分の望みなのだと認識し、それもあってITに携わる道を模索するようになったんです。</p>

工科大学の工学部に行ったのも、コンピュータサイエンスが好きだったから、というよりは、IT技術で音楽の世界に関わりたかったからです。最初の自己紹介ではあえて言いませんでしたが、就活でもレコード会社などを受けたりしていたんです。しかし、ろくに大学に通わず、当然成績もパッとしませんでしたし、冒頭でも言いましたように当時の日本が不況だったこともあって、プロミスへ入社したんです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［5］ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか？　その理由についても教えてください</span></h4>

今申し上げたような学生時代でしたから、本当の意味でIT技術の領域でプロフェッショナルになろうと志したのは、プロミスに入社してからです。とはいえ、これも冒頭でお話したように、非常に面白い経験を積める時期に入社していたこともあり、没頭していきました。セミナーなどにも積極的に参加しましたし、端末機を初期化して、それを自力で復元していくような自主学習もしていったんです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［6］専門的スキルは主にどこで獲得したのですか？</span></h4>

企業のITシステムを開発・運用・管理していくスキルについては、プロミスで学び始めたわけですが、それがようやく実になっていったのはチューリッヒ時代だと思います。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［7］リーダーシップやマネージメントに関する経験やスキルは、いつ、どこで獲得したのでしょう？</span></h4>

間違いなくチューリッヒにいた9年間でマネージメントの難しさや醍醐味を体感し、リーダーシップも含めて、少しずつ身につけていきました。運用部門や開発部門など、同じIT分野でも異なる複数の部門を任されたこと、そして最終的にCTOに近い役割を経験できたことが非常に大きかったですね。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［8］キャリア形成上の転機があったとすれば、それはいつのことですか？</span></h4>

<p>これもチューリッヒ時代です。今と違って、2000年代の日本にはまだ終身雇用が当たり前だった時代の価値観が根づいていましたし、プロミス時代の私もまた、定年まで働くのが当然だと思っているところがあったので、転職をしたこと自体が大きな転機でした。しかも、まったく企業カルチャーの異なる外資系への転職でしたから、入社してしばらくはカルチャーショック的な戸惑いの連続でした。</p>

また、英語を使ってビジネスをするのも初めてでしたし「与えられた仕事」だけでなく、自ら動いて仕事を獲りに行くような働き方が許される環境も初めてだったんです。ただし、この働き方は私には合っていました。自分の心にスイッチさえ入ればとことんやるのが自分流でしたので、途中からは伸び伸びと働くことが出来ました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［9］強く印象に残っている試練やストレッチの経験について教えてください</span></h4>

<p>チューリッヒに入って数年後、システム開発の部門長になった時です。世の中的にも、リーマンショックによる大打撃からどう立ち直るかが業種を超えてテーマになっていた時期でした。チューリッヒもまた経営上のコストをドラスティックに削減していくことが急務となり、私にも人件費削減というミッションが課せられたのです。システム開発やシステム基盤運用領域のニアショア・オフショア化も推進しましたが、それだけでは目標とするコスト削減には届かず、苦渋の決断で社員に退職してもらうための交渉を1人ひとりとすることになったのです。</p>

<p>こうなれば技術云々という話ではありません。問われるのは胆力であり、メンタルの強さ。経営方針に紐付いてマネージメントを行い、リーダーとして動く上では、こうした組織上の難しい問題にも正面から向き合わなければいけないんだということを痛切に感じました。</p>

CTO的な立場になり、技術と経営の連携を強化して会社を強くしていく、という仕事はたしかに醍醐味のあるものではあるけれども、会社の業績はいつも良いとは限らない。業績好調の時ならば、マネージメントは簡単です。本当の意味でリーダーがその資質を問われるのは、会社全体が良くない時。その時、どれだけの成果を上げ、なおかつメンバー個々に責任を果たしていくかが、重く問われる立場なのだということを、この時、強く心に刻みつけたんです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［10］影響を受けた先輩や、師匠といえるかたはいらっしゃいますか？</span></h4>

<p>これまでに出会ったすべてのかたから影響を受け、学ばせてもらいましたが、誰か1人を挙げるとするならば、プロミス在籍時に出会ったCIOのかたです。当時のプロミスはほとんどが生え抜き社員で構成されていたのですが、ある時IBMにいたかたがCIOとして入ってきて、その視野の広さに驚かされたんです。</p>

誰もが目の前にある自分の仕事にばかり気持ちが行きがちな中で、この人が示す視点の客観性や大きさに、非常に刺激を受けました。そして、やはり外の世界を知っているかたでもありましたから、その後私が転機を迎えるたびに相談に乗ってもらい、今でもおつきあいをさせていただいています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［11］座右の銘や、独自の哲学などをお持ちですか？</span></h4>

特に座右の銘というほどではないのですが「他山の石」という言葉は、よく意識をしています。どんな仕事に就いていても学ぶことは重要だと思うのですが、それは何も本を読んだり、セミナーに行ったりすることばかりではなく、周囲の意見や自分に対する声なども、学びの源になる。そう考えています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［12］感動し、影響を受けた本や映画などがあれば教えてください</span></h4>

<p>話題になってから10年以上が経過していますが、いまだに『生協の白石さん』（講談社刊）を開くと、相手を的確に捉える感度の素晴らしさに感動しますし、採用面接の折などは多少意識しながらコミュニケーションをしたりもします。</p>

<p><img alt="photo02.jpg" src="/industry/cxo/interview/nwlife/photo02.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

もう1つ、とりわけ私にとって大きな1冊がジョン・コッターの書いた『カモメになったペンギン』（ダイヤモンド社刊）です。<br />
この本は、チューリッヒ時代に当時の社長がトランスフォーメーションを成功させるためのツールとして使用された本で社員全員に配って読ませたり、映像にして見せたりしていました。<br />
私もこの本から多種多様な社員をリードして企業変革をする手法を学び、共感したので、今でもマネージメントスタイルの一部として参考にしています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［13］CxOというキャリアの将来性や、今後期待される役割について、どうお考えですか？</span></h4>

<p>CxOは、今後も間違いなく企業経営に不可欠な存在であり続けると思います。専門性と経営に関わるナレッジとをかけ算して、企業の成長に貢献していく役割は、なくなることはないでしょうね。ただし、すべてのCxOがこの先も今と変わらない位置づけで存続するかどうかはわかりません。常にビジネスの主流となる要素は変化しますから、その時のトレンドに合わせて新しく登場してくるCxOもあるでしょうし、現在のCMOとCIOのように役割がどんどん接近していき、場合によっては1人のオフィサーが兼務するようなケースも出てくるでしょう。</p>

また、広い意味でのテクノロジーをベースにするCTOは今後も重要な位置づけでいるとは思いますが、問われるテクノロジーがIT一辺倒ではなくなるだろうとも考えています。言い換えればCxOに就任した人間も日々アップデートしていく必要があるということです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［14］ご自身の今後のキャリアビジョンについて教えてください</span></h4>

とにかく単なるIT分野のマネージャーではなく、経営にコミットする存在としてプレゼンスを高めていきたいと考えています。今以上にこの会社の経営にダイレクトにインパクトが出せる人間になっていかなければいけない、と思い続けているんです。また、私のこれまでのキャリアはすべて大企業で培ったものでしたが、今いるニッセイ・ウェルス生命保険はリーディングカンパニーをバックボーンに持ちながらも、ベンチャーと変わらない自由度と機動力とで成果を生み出せる集団です。今までに得てきた経験を活かしつつ、私自身も新たな学びを得ながら、皆と成長していければと願っています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［15］若い方々へメッセージ、アドバイスをお願いします</span></h4>

<p>伝えたいことは2つあります。1つは、業務から得られるスキルアップが限定的なものでしかない、という事実を心得ておいてほしい、というもの。例えばCTOを目指すというのであれば、もちろん技術に関する知識やスキルは大切ですし、その多くは眼前の業務を通じてでも育てていくことはできるでしょう。しかし、与えられた環境で学べることには限りがありますから、どこまで自主的に貪欲に学びを外に求めていけるかが問われます。</p>

<p>そしてそれ以上に、技術だけではCTOの役割は果たせないということを知っておいてほしい。私自身、事業会社のIT担当というワクの中では学べないものを求めて、IBMへ転職をしました。環境を変え、視点を変え、向き合う対象を変えるだけで、まったく違う景色が見えてくるのだということを理解してくれたらいいなと思います。もちろん、転職するばかりが有効とは限りません。例えば技術の仕事をしながら、マーケティングの領域に踏み込んでみたり、国内の事業に携わりつつもグローバルな市場にアンテナを立ててみたり、やれることはいくらでもあると思うのです。</p>

<p>伝えたいことの2つめは、評価は成果でしか計れない、という現実も知って欲しいということです。特に技術職に就いている人たちは、営業職とは違うのだから数字とは関係ない、と思ってしまいがちですが、もしも将来的に経営に携わることを目指しているのならば、所属する部門や任されている職務に関係なく、数字、すなわち結果に責任を感じながら働くべきだと思っています。</p>

アマチュアスポーツの世界ならば「負けはしたものの、良い試合をした」ということで評価してもらえるかもしれませんが、私たちはプロフェッショナルですし、勝つことを目指したチームにいます。技術職であろうとバックオフィスであろうと、すべての人間が戦略的に勝つために自分の役割を認識し、得点に貢献していくべき。そういう意識で臨めば、経営を担える立場になった時、日々の積み重ねが大いに役立ってくるはずだと信じています。ぜひ、点をあげられるプレイヤーとして経営者意識で精進してください。<br />
</div>]]>
        
    </content>
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    <title>平塚 俊治 氏</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://career-incubation.co.jp/cxo-interview/007949.html" />
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    <published>2018-07-02T06:04:54Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:16:59Z</updated>

    <summary>［1］自己紹介をお願いします 私が就職活動をしたのは1980年代の半ば。多くの学...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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        <category term="平塚 俊治 氏" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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    <category term="トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社" label="トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<h4><span>［1］自己紹介をお願いします</span></h4>

<p>私が就職活動をしたのは1980年代の半ば。多くの学生が商社や金融機関などを目指していた時代でしたが、私は技術力の強みを活かしてグローバルで将来成長していきそうなメーカーに魅力を覚え、そういう企業で働くことを希望していました。そうして入社したのが日本電気（以下、NEC）です。当時、通信やコンピュータ、半導体で躍進していたNECで、海外関連の部署に就くことを志望していたものの、配属されたのは国内工場。そこで労務管理を中心に人事の仕事をしていくことになり、以来、一貫して人事分野を歩むことになりました。</p>

<p>こつこつと地味な職務を国内でこなしていく日々が続いたものの、運よく巡ってきた転機が海外留学制度への選出でした。米国パデュー大学のビジネススクールでMBAを取得したことで、グローバルとの関わりが始まったのです。帰国後は本社の国際人事部門で外国人採用の仕事を担い、1991年には米国で立ちあがった基礎研究所に人事責任者として赴任しました。言葉の壁とは、留学時代から格闘していましたが、この赴任によって欧米のカルチャー、とりわけ働き方に対する価値観の違いと格闘する日々もスタートしたのです。また、20代でチームをもてたこと、スタートアップの組織においてガバナンスをいちから整えていくという貴重な経験を得たことなど、恵まれていました。</p>

<p>その後、帰国すると本社の人事マネージャーとして再び国際人事に関わっていったのですが、大企業の本社機能に長くいると、どうしてもビジネスとの間に距離感が生じてしまいます。「もっとビジネスに直接かかわる場で成長感をもって働きたい」という気持ちが強まる一方で、2000年代に入ってからは日本の電機産業全体がグローバルにおいて収縮傾向に入ったことも手伝い、転職の可能性を少しずつ考えるようになりました。</p>

<p><img alt="photo02.jpg" src="/industry/cxo/interview/triumph/photo02.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

<p>そういうタイミングに、知人が紹介してくれたエージェントからマースの話をいただきました。BtoCマーケットで消費財を扱うこの企業の名前を、当時の私は知らなかったのですが、聞けばペットフードのペディグリーやチョコレートのM&M'sなど、世界市場を席巻するような商品を扱っているとのこと。興味がわいて、同社の役員数名に話を聞かせてもらいました。実に不思議な面談でした。ほとんどの方が「大変ですよ、本当にいいんですか？」と心配してくれるのです。私自身、40代での初めての転職、しかも畑違いの外資企業への転身でしたから迷いましたが、どういうわけか根拠もなく「なんとかやれそう」という直感もあって、決断をした次第です。</p>

<p>マースには英国人HRヘッドの後任候補として入社したのですが、すぐに多くの役員が「大変ですよー」と言ってくださった意味がわかりました。意思決定やアクションのスピード、必要とされる英語力が違うだけでなく、入社翌年には、日本を含む多くのマーケットで大規模な組織再編とリストラクチャリングが実行されました。自分の身の上さえ案じた時期もありましたが、とにかくHRの人間としてこのタフなミッションを乗り切り、会社を成長軌道に復活させる変革マネージメントに携われることによって、成長することができたと思っています。</p>

<p>こうして、結果的に「ザ・日本企業」に20年、「ザ・グローバル企業」に7年在籍し、国内外のHR分野の仕事を経験してきた私のもとに、ある日、トリンプ・インターナショナル・ジャパン（以下、トリンプ）からお話が届いたわけです。前の転職も、BtoB中心のハイテクからBtoCの消費財というチャレンジでしたが、今回もまたアパレルという未体験領域であり、同じBtoCといっても女性を対象にしたリテールビジネスということになります。ただし、前回同様、私にとっては「まったくの畑違い」という要素は「興味やチャレンジ心をそそられる」というポジティブなものでした。しかも、日本を最重要市場の一つとし、多くの消費者に日本企業と思われるくらいこの国の市場に浸透しているトリンプが、グローバル企業としての強みにレバレッジを効かせることで、さらに成長を目指そうとしているというお話を聞き、大いに心動かされたのです。まさに自分が得てきた経験を活かすことができそうだし、非常にダイナミックな変革に携わることができる。そう感じて、お話をお受けし、今に至っています。</p>

<div class="section">
<h4><span>［2］現在の社内での役割について教えてください</span></h4>

<p>取締役人事本部長として他の役員とともに日本法人としての意思決定や執行を行う立場にあると同時に、トリンプのグローバルHRBPの一人でもあり、ホールディングやビジネスユニットの幹部と協働して日本のビジネスをサポートし、変革を推進していくミッションも担っています。トリンプが日本で築いてきた資産や強みを大切にしながら、新たなチャレンジを行っていくのが私の使命。これまで、いわゆるHR業務のみならず、お客様相談室や販売スタッフトレーニングにも携わる機会もいただきました。エンドtoエンドを網羅する製造小売業は消費財に比べてはるかに複雑です。HRの観点でもチャレンジが大きく、それを実感しながら、成長感をもって仕事をしています。</p>

<p><a href="http://www.triumph.com/jp/ja/news20180413.html"><img alt="photo03.jpg" src="/industry/cxo/interview/triumph/photo03.jpg" width="220" height="130" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></p>

<p>トリンプ・インターナショナル・ジャパンは、消費者認知の非常に高いブランドや製品をもちます。それらを心から愛し、誇りに思っている人が集い、オープンかつカジュアルでフラットな環境や働きやすさを実現しています。女性向け商品の会社ですが、男性や外国籍社員も多数在籍していて豊かな多様性も備えています。これらの強みをしっかりと継承しながら、どうすればMake a difference できるか、そのための組織や仕組み、人をどう育てていけるか、というテーマに取り組んでいるところです。</p>

<div class="section">
<h4><span>［3］小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう？</span></h4>

ごく普通の少年だったと思います。毎年クラス委員をやったりはしましたけれども、遊んでいた記憶ばかりが残っています。生き物が好きだったので、カマキリやザリガニをつかまえて飼育したり、工作も好きだったのでラジオなど組み立てて遊んでいました。中学に入ってからは映画やコンサートにも行きましたね。強いて特徴を言うなら「好奇心旺盛」でしょうか。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［4］高校、大学時代はどのような学生でしたか？</span></h4>

都立の高校に通うようになっても、自由な環境で変わることなくのんびりすごしました。部活に熱中するというよりも、文化祭の時にクラスで演劇や映画を制作したりした思い出が大きいです。その後、一橋大学に入学しましたが、1980年前後は全国的にいわゆる「モラトリアム」カルチャー全盛期。私もテニスサークルを続ける一方、テント担いで東北地方を歩いて旅行したりなど自由きままで、就活直前までキャリアを意識することはありませんでした。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［5］ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか？　その理由についても教えてください</span></h4>

HRという領域を自分から進んで選んだわけではなく、新卒入社したNECの初任配属によって、キャリアの入り口が決まってしまったところはあります。特に不満を抱いていたわけではありませんが、20代半ばで米国のビジネススクールに留学した時には、ファイナンスやマーケティングも学び、「財務や経理の方がビジネスに直結して面白い」と考えたこともありました。結局、その後もHRにいながら、自分の軸足が今一つしっくりこない感覚が続いていきましたが、マースに転職をして、そこで初めてHRのビジネスにおける存在感やインパクトを目の当たりにしたことから、ようやく「自分はHRの世界で生きていこう」と腹を決めました。<br />
</div>]]>
        
    </content>
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    <title>CxO転職インタビューについて</title>
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    <published>2018-07-01T11:03:00Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:16:53Z</updated>

    <summary>ご挨拶 キャリアインキュベーションでは2013年より「プロ経営者インタビュー」を...</summary>
    <author>
        <name>admin</name>
        
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        <category term="CxO" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="CxO転職インタビューについて" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="製造業" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://career-incubation.co.jp/cxo-interview/">
        <![CDATA[<h4>ご挨拶</h4>

<p><img alt="hiroyukiarai.jpg" src="/interview/cxo/hiroyukiarai.jpg" width="180" height="180" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></p>

<p>キャリアインキュベーションでは2013年より「プロ経営者インタビュー」をWEBコンテンツとして展開して参りました。3年近くが経過し約40名のプロ経営者の方にご協力いただいております。</p>

<p>2015年10月にはこのインタビューをベースとして「職業としてのプロ経営者」として書籍化も実現いたしました。この「プロ経営者インタビュー」は今後も続けて参りますが、更に視野を広げ、発展させるために「CxOへの道」をスタートさせることに致しました。</p>

<p>WEB記事をお読みいただいたお客様や多くの候補者からの声もあり、CFO、CSO、CMO、CHRO、CIO、CTO等の皆さまを対象とした企画でございます。</p>

<h4>目的</h4>

<p>現代の企業経営はより複雑・高度化しておりCEOが一人で舵取りするのではなく、チームで経営することが求められるようになりました。多くの企業では、コーポレートガバナンスコードの導入、事業戦略の再構築と実行、グローバルＭ＆Ａ，デジタル化やオムニチャネルへの対応、この環境下であるべき組織構築とグローバル人事戦略など課題は山積です。そこでチームとしての経営人材に視点を当て、どうすればそれぞれの専門性と高度なマネージメントスキルを獲得できたのかを探っていきたいと思います。</p>

<p>ただ、新卒で入社しそのまま内部昇格でCxOになられた方ではなく、転職した方を対象としたいと考えています。それは転職ノウハウをご紹介したいわけでなく、自ら環境を変えチャレンジし、プロアクティブにご自身の意思でキャリアを構築されてきた方こそロールモデルに相応しいと考えるからです。</p>

<p>今後、ファイナンス、経営企画、マーケティング、ＩＴ、人事などで活躍している20代、30代の若手をインスパイアしていき、挑戦する若者を一人でも輩出したいと考えています。</p>

<p>弊社は従来、コンサルティング、プライベートエクイティに人材をリクルートしてきましたが、これからは更にビジョン実現のためにプロ経営者やCxOの転職市場を創造します。CxOネットワークを構築し、将来経営者になれるような人材を長期に渡り支援して行きます。</p>]]>
        
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    <title>宮谷 孝一 氏</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://career-incubation.co.jp/cxo-interview/007947.html" />
    <id>tag:www.careerinq.com,2018:/industry/cxo/interview//27.10155</id>

    <published>2018-04-26T08:17:59Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:16:42Z</updated>

    <summary>［1］自己紹介をお願いします 私は学生時代の就職活動では、特に強いこだわりを持っ...</summary>
    <author>
        <name>admin</name>
        
    </author>
    
        <category term="CxO" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="宮谷 孝一 氏" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="製造業" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="ニールセンカンパニー合同会社" label="ニールセンカンパニー合同会社" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<h4><span>［1］自己紹介をお願いします</span></h4>

<p>私は学生時代の就職活動では、特に強いこだわりを持っていませんでした。ただ「海外の物を扱う仕事」には関心があったので、輸入事業を展開する企業を中心に受けていき、最終的に世界各国の酒類・食品類を扱う明治屋に就職をしました。担当職務は営業。酒販店やスーパーを対象にしたセールスを8年以上の間、一貫して担っていました。</p>

<p>しかし、当時様々な分野で価格破壊戦略を進めていたダイエーが、お酒の販売でも積極的な価格訴求を展開し始め、古くからこの業界で安定した実績を上げていた事業者が軒並み動揺していく中で、先行きに不安を感じ、転職を考えるようになりました。そうして入社をしたのが外資系食品大手のマスターフーズリミテッド（現マース ジャパン）です。<br />
頑張って結果を出せばフェアに評価をしてもらえる、という経営体制と、ペットフードをはじめ手がけている各事業領域において、新しい市場の創造を推進していこうとする姿勢とに共鳴をしたんです。</p>

<p>人材育成についても多様性を重んじるカルチャーがあり、私自身、ペットフードの営業マネージャーを務めていた時期に「営業部隊と人事部門との関係性を一層深めて密な連携をとれるようにしたい」という話をもらい、HRの仕事に就くようになりました。</p>

<p>大きなグローバル企業で初めて人事の仕事をやるとなれば、英語力にも自信はありませんでしたし、いろいろと不安もつきまとったのですが「今までは海外製品を営業してきたけれども、今度は採用の仕事を通じてこの会社の魅力を営業するんだ」という考え方でトライしていったんです。「営業を熟知した人間がHRにも精通していけば、付加価値の高い人材になれますよ」と当時の日本人上司にバックアップしてもらった点も大きかったと思っています。</p>

<p>加えて、英国人の人事ヘッドに「人事のロールにこだわり続けることはない。2〜3年経験を積んだら、今度は自分の考えでキャリアを作っていけば良い」とも言ってもらったので、その後、ファイナンス部門に異動をして需要予測の仕事にも就きました。そして、次はサプライチェーンの部門へと移ったのですが、SCMは高度な専門性が問われる仕事。「自分も拠り所になる専門性を持たなければ」という意識が高まった結果、HRで最もやりがいを感じていたことを思い出し、この道で成長していこうと決めました。</p>

<p>以前は採用の仕事しかしていませんでしたから、それ以外の多様な人事業務全般を学べる場を求めるようになったのですが、すでに社内には経験豊富で優秀な人たちが揃っていました。そこでチャンスを外に求め、2度目の転職へ乗り出し、医療機器メーカーのスミスメディカル・ジャパンで人事業務全般を担い、さらにマスターフーズ時代に仕事でつながりを持っていたニールセンからお声をかけていただいて、現在に至っています。</p>

<div class="section">
<h4><span>［2］現在の社内での役割について教えてください</span></h4>

<p>転職を重ねてきて実感したのは、その会社の価値観やカルチャーと自分がフィットするかどうかの重要性です。私としてはマスターフーズで経験したようなオープンな企業風土を求めていたので、以前仕事で関わりを持ち、その発想の近さを確認できていたニールセンからのオファーは非常に嬉しいものでした。事実、入社してすぐに様々な考え方や理念に共感でき、やりがいを感じたのです。現在はCHROとして人事分野全体の業務を見ながら、経営との連動にコミットする立場にいます。日本拠点はもちろん、韓国についても担当をしているところです。</p>

<div class="section">
<h4><span>［3］小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう？</span></h4>
 <br />
とにかく運動が好きなヤンチャ坊主だったと思います。通知表にはよく「落ち着きがない」なんて書かれていましたが（笑）。<br />
今振り返って思うのは、転校の多い境遇だったことがプラスに作用している、という点です。父の仕事の関係で、小学校時代に何度も転校していたので、新しい環境にすぐになじむ、という術を体得しました。おかげで大人になってからの幾度かの転職においても、戸惑うことなく組織になじんでいくことができました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［4］高校、大学時代はどのような学生でしたか？</span></h4>

<p><img alt="photo02.jpg" src="/industry/cxo/interview/nielsen/photo02.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></p>

<p>國學院久我山で陸上部に入り、夢中ですごしたのですが、この高校には小中学時代と違って本当にいろいろな生徒がいて、これもまたその後に生きる経験になりました。とにかく勉強一筋の子もいれば、運動にすべてを捧げている子もいるし、1日中マンガを書いているような子もいる環境です。</p>

人間というのは一通りではなく多様なんだ、という事実を体感し、なおかつそういう多様性のある集団の中でどう振る舞えばいいのかも身体で覚えていくことができたんです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［5］ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか？　その理由についても教えてください</span></h4>

冒頭でも触れたように、長年セールスの仕事だけを続けてきた私にマスターフーズがチャンスをくれました。営業職から人事の採用担当に、というケースは決して多くないと思いますが、チャレンジをしてみた結果、とてもやりがいを感じることができましたし、その後経験した他の職務との比較からも「自分がやりたいのは人事の仕事なんだ」と確信することができたんです。<br />
</div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>青山 正明 氏</title>
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    <published>2016-11-14T06:28:42Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:16:30Z</updated>

    <summary>［1］自己紹介をお願いします 学生時代の私は「やるならばプロフェッショナルな仕事...</summary>
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        <![CDATA[<h4><span>［1］自己紹介をお願いします</span></h4>

<p>学生時代の私は「やるならばプロフェッショナルな仕事。どうせ働くのなら（普通の）人とは違う場で働きたい」などと、いきがったセリフをよく口にしていました。しかし、実際に就職活動を進めていく中、結局手に入れた内定は大手総合商社や外資系投資銀行ばかりでした。「このままでは自分が言っていたことと全然違うじゃないか」という自己矛盾を抱え始めた時に、ドリームインキュベータ（以下、DI）の存在を知り、入社することを決めました。</p>

<p>今でこそ規模も大きく、知名度も高いDIですが、当時（2004年）は設立からまだ4年で規模も小さく、初めて新卒採用を行った年。同期入社はわずか2名のみという環境下、早々に現場に投入され、次々と案件を経験する中でコンサルタントとしての仕事を覚えていきました。</p>

<p>想像を絶するような忙しさではありましたが、まさに学生時代に志していたような経験と成長を手に入れることができたと思っています。なによりも糧になったのは、常に大手企業とベンチャー企業の双方を担当し、いずれも成長支援をテーマとしたプロジェクトに携わり続けた点です。「大企業とベンチャーへの支援を両輪に」というのはDI自体がアイデンティティとしていたポイント。</p>

<p>おかげで「高水準な戦略を問われる局面」、「戦略の出来映えよりも実行段階での結果に強くコミットすべき局面」の両方をバランス良く経験することになり、私自身の成長に良い意味で影響を与えてくれたのです。担当したプロジェクトの業種が多岐に渡っていたことも、私としては大いに勉強になりました。</p>

<p>入社から丸4年が経過するとマネージャーに就任し、それ以降は市場の成長性や自分自身の将来も考え、特にコンシューマーグッズの案件やプライベートエクティの投資案件を数多く支援・担当していきました。その後、2011年にDIは事業投資の一環としてアイペットを買収したわけですが、当時のアイペットは「売上規模24億円、収益は赤字」という状態の少額短期保険業者でした。</p>

<p>大きな将来性を見込んでの投資とはいえ、その経営を建て直すチャレンジは容易ではありません。アイペットの中に入り込み、「支援」ではなく「当事者」として変革を目指そう、という人間は社内には多くはおりませんでした。しかし、私の目にはアイペットが非常に魅力的に映ったのです。</p>

<p>「リソース不足の状況を抱えながら、短期的にも中長期的にも成功していくことを義務づけられる」というのは成長企業の常ですが、その渦中に入って、これまでに培った力をハンズオンでふるってみたい、という気持ちが私の中で膨らんできたタイミングでした。</p>

<p>そしてもちろん、アイペットがリードする国内ペット保険市場の将来的な成長性にも魅力を感じてもいました。そこで2012年に自ら手を挙げ、このチャレンジに参画したわけです。2016年にはDIを辞め、正式にアイペットへ入社。「筆頭株主から派遣された変革担当者」としてではなく、アイペットの人間として、この会社の成長を目指しています。</p>

<div class="section">
<h4><span>［2］現在の社内での役割について教えてください</span></h4>

<p>COO、CFO、CTOなど、いわゆるCxOの範疇である役職名は日本でもだいぶ浸透してきましたが、CSO、つまりチーフ・ストラテジック・オフィサーという役割はまだ馴染みが薄いかと思います。要は戦略策定〜実行というものに軸足を置きながら会社経営における責任を果たしていく立場。アイペットにおける私の役割を具体的に挙げれば、3つに分かれます。</p>

<p>まず1つは経営企画部を所管して、この会社の中長期的成長を見据えた戦略の策定を行っていくこと。もう1つの立場は社長室の管掌。現実の企業活動では、すべてがキレイに戦略通り実行されるわけではありません。非定型な案件も時には浮上しますし、戦略で見込んでいた事柄とは無関係にポテンヒットのような成果が上がったりもします。そうしたイレギュラーな事象も含めたあらゆる経営イシューにタッチしていくのも、私の仕事の1つというわけです。</p>

<p>そして3つめとして、所謂コーポレート・ディベロップメントについても、私が担当させて頂いております。リアルで短期的な戦略実行の場として現場に深く関わる一方で、事業提携や出資事案にも携わっています。</p>

<p>つまり、長期的なビジョン、「あるべき論」の青写真を描きつつ、短期的で現実的な視点も併せ持ちながら戦略を現場に落とし込み、実行に責任を持つのが私の役割です。おかげさまで前期（2015年度）には売上81億円を達成し、収益でも4億の黒字を達成。今期（2016年度）はついに売上規模で100億の大台を達成できるかもしれないところまで成長することができました。</p>

現在は近い将来の上場プランも踏まえつつ、社長をはじめ、営業のトップやCFOらと形成している経営チームの一員として目標の実現を目指しているところです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［3］小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう？</span></h4>

<p><img alt="photo01.jpg" src="/industry/cxo/interview/ipet/photo01.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></p>

<p>ごくごく普通の、野球に夢中な少年だったと思います。ただ、小学校4年生くらいの時、「この程度の腕前では将来、野球選手になるのは無理だ」と自分なりに判断し、親に「野球じゃ食えないから、勉強を頑張る」と進言したんです（笑）。土下座して進学塾に通わせてください、とお願いをしました。この話をすると、たいてい「子どもらしくない」と驚かれますが。</p>

そうして実際、5年生からは塾に通って毎晩午前2時ごろまで受験勉強をして、中高一貫の進学校に入学しました。「食うための勉強」（笑）は、その後も継続しましたが、中学に入ってからはバスケットボール部に入り、これにも熱中していきました。<br />
<div class="section">
<h4><span>［4］高校、大学時代はどのような学生でしたか？</span></h4>

<p>高校でもバスケ部に入って、キャプテンもやりました。中学の頃と変わることなく勉強とバスケットの毎日で、大学受験の勉強は高校3年生の夏休みで終わっておりました。が、そうして京都大学に合格すると、これまでの反動がものの見事に出ました。</p>

<p>金髪のロンゲというスタイルで（笑）、当時盛んだったクラブイベントを開催するサークルに入り、わいわいとやっていました。それでも今振り返ってみると、この頃の様々な経験がすべて、その後のビジネスでの成長に大いに役立ったように感じます。</p>

<p>進学校にいながら受験勉強とバスケットを両立させたことで、タイム・マネージメントをはじめ、あらゆるリソース・マネージメントを自分なりに実行できるようになりました。また、バスケット部のキャプテンやイベントサークルでの活動を通じて、「アイデアを考え、それを皆にプレゼンし、最終的にはチームをまとめて実行していくところまで責任を持つ」という体験もできたわけです。</p>

好きなことを好きなようにやっていた学生時代でしたが、結構、将来につながるようなこともあったのだな、と思っています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［5］ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか？　その理由についても教えてください</span></h4>

<p>自分ではまだ「専門性を確立した」とは考えていません。そもそも戦略というものは、それぞれの企業が置かれている状況次第で大きく変化します。非常に個別性の高い分野であり、うまくいったかどうかは結果論でしか見えてこないものなんです。とはいえ、これまで戦略の立案から実行に至る部分に携わり続けてきたことで、多数の汎用性のあるスキルは手に入ったと自負しています。</p>

<p>アイペットのような数百名規模の会社を伸ばしていくのに必要な様々なスキル、能力の多くはDIでの実務の中で吸収したと思っています。ただし、売上が1兆円規模のような大企業で戦略の専門家となっていけるような専門性をマスターできているとは思いませんから、「専門性をすでに確立したとは思っていない」と申し上げたまでのこと。</p>

<p>「なぜ戦略というものを専門にしようとしたか」という点については、深く自己分析したわけではないのですが、もともと好きな領域だったのは確かです。日本のビジネスパーソンには「三国志」を好む人間が多いと思いますけれども、私もその一人。特に諸葛亮孔明や司馬懿といった軍師に魅力を感じてきましたから、勝つための計画を練り上げる戦略の仕事にも魅了されていったのだと考えています。</p>

とはいえ、DIというコンサルティングファームに入ってみて気がついたのは「戦略」好きにも2パターンある、ということ。1つは戦略を作ることそのものが純粋に好きな人、もう1つは戦略策定も好きだが本当のところは、支援をしたりお節介をやくのが好きでコンサルタントをしているというパターンの人。私はどちらかというと後者に近いと思っています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［6］専門的スキルは主にどこで獲得したのですか？</span></h4>

アイペットに来るまでの私のキャリアは、DIがすべてですから、当然のことながらあらゆるスキルをDI時代に実務を通じて獲得しました。冒頭にも申し上げましたが、数ある他のコンサルティングファームと異なり、DIでは大企業とベンチャーの両方の成長支援を体験できますから、おかげでアイペットという成長企業に来てからもすぐに通用するようなスキルを培うことができました。大企業の案件しか扱わないようなファームに在籍していたら、こうはなっていないと思います。<br />
</div>]]>
        
    </content>
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    <title>伊東 奈津子 氏</title>
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    <published>2016-10-03T01:45:22Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:16:17Z</updated>

    <summary>［1］自己紹介をお願いします 私は大学時代、人間科学部で主に心理学の勉強をしてい...</summary>
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        <![CDATA[<h4><span>［1］自己紹介をお願いします</span></h4>

<p>私は大学時代、人間科学部で主に心理学の勉強をしていました。就職に有利かどうか、ということとは無関係に、ピュアに学ぶことを楽しんでいたわけですが、いざ就職活動をする時期が来ると、結果、当時の就活生人気企業ランキングでナンバーワンだったNTTへの入社を決めました。そのころNTTはTVCFを中心にしたキャンペーンを大々的に展開していたこともあり、なんとなく「広告宣伝の仕事ができたらいいな」と思っていたわけです。</p>

<p>ところが入ってみると、総合職の社員は全員、3年をかけて様々な部門を経験していくという育成計画に投入されることになりました。当時の日本の大企業では珍しくない手法だったとは思うのですが、私はそれが納得できず、入社4ヵ月で退職願を提出してしまいました。今になって振り返れば、若気の至りとしか言いようがない行動ですけれども、それまで自分の意見を主張することもなく、親や周囲の大人が敷いてくれたレールを上手に走っていた優等生の、生まれて初めての自己主張でした。</p>

<p>結局、叱責されてもおかしくない事態にもかかわらず、本社の人事部長からも直々に「話を聞かせてくれないか」と言っていただき、いろいろと話をさせてもらいました。そして、こうした懐の深さに感じ入りながら、3年間仕事をさせていただいたんです。社会人として自立するうえで、とても貴重な経験をさせていただいたと今でも感謝しています。</p>

<p>それでも私の中に芽生えていた「広告宣伝の仕事を」という気持ちは変わらず、米国の大手広告代理店レオ・バーネット社の系列企業への転職を決めました。P&G、フィリップ・モリスなど、外資系大企業のクライアントを持つ会社でしたので、常に大規模なプロジェクトが動いていました。</p>

<p>そうした恵まれた環境のもと、私はセールスプロモーションやアカウントマネージメントなど、一連の仕事を覚えていくことができました。ただし、大きな挫折感を味わったのもこの時期です。自分が所属する会社も外資で、クライアントの多くもまた外資ですから、社内ミーティングでもお客さまとのコミュニケーションでも、基本は英語です。語学力の不足を感じるとともに、コミュニケーションそのものにおいても自力不足を感じ「どこかで思い切ったストレッチをしなければ」という思いが膨らんでいったのです。</p>

<p>そうして決意したのが留学です。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院を選択した理由は、社会心理学課程のカリキュラムを持つ数少ない場だったからです。留学を具体的に考える過程でビジネススクールへの入学も検討はしたのですが、大学時代から心理学を学んでいましたし、当時の私の最大の課題は広い意味でのコミュニケーション力向上でしたから、いわゆるMBA的な素養を伸ばす前に、まずはこの領域で成長を目指そうと考えたのです。</p>

<p>修了後に帰国してからの就職先を当たっていく上では、広告代理店も選択肢に入れていたのですが、最終的に米国の音響機器メーカーであるボーズの日本法人へ入社しました。「広告の仕事だけを専門にしていくよりも、事業会社の経営戦略にも関わっていけるような立場になりたい」という気持ちがこの頃には大きくなり始めていました。また、当時のボーズで日本法人の社長をしていた佐倉住嘉さん（現在はカタログハウス社長を経て同社相談役）と面接でお会いして、その経営哲学や人間味あふれるお人柄に魅せられたこともあっての入社でした。</p>

<p>このボーズで、私は10年以上を過ごすことになるのですが、入社当初から一貫してマーケティング領域の仕事をさせていただきました。米国駐在や、プロダクトマネージャーとして商品を担当する経験を持つなど、佐倉社長独自の発想でマーケターとして育ててもらう中、企業経営と結び付いたマーケティングの有りようとでもいうべきものもインプットしていくことができました。</p>

<p>また、2008年ごろまでのボーズはローカルを尊重しながら全体として成長していく路線でしたが、その後はグローバライゼーションを強めていく方向に変わりました。非常に大きな変化です。すでにマーケティング分野を統括する立場に就いていた私としても、試練の場であり、同時にストレッチの機会となりました。</p>

<p>また、この時期はマーケティング領域でもデジタル化へのシフトという大きな変化がありました。社内での経営変革が一定の落ち着きを見せ始めると「新たなチャレンジをしてみたい」という願望が強くなり、再度転職することを検討したのです。</p>

<p>そうして入社したのがクラランスでした。音響の世界からコスメの世界への転身です。ターゲットとなるエンドユーザーも男性中心から女性中心へと変わります。完全な異領域だと言えますが「製品に誇りを持ち、オリジナリティとクオリティにこだわる」という部分でボーズと共通していたのです。在籍期間は1年弱でしたが、多くのことを学ばせてもらいました。なにより大きな教訓は「どんなに異なる事業領域であっても、マーケティングや経営に求められるファンダメンタルは変わらない」と気づかされたことでした。</p>

<p>こうして2014年にお声をかけてくれたのがティアックです。音響機器メーカーという点ではボーズとつながるものの、私が長年生きてきた外資系ではなく、純然たる日本企業という違いがありました。それでもクラランスで得た「ファンダメンタルは同じ」という思いが背中を押してくれました。</p>

<p>また、厳密にいえば米国ギブソン社の傘下になってからのティアックですから、今後はよりグローバルを強く意識して使命を果たしていかなければいけません。ティアックが日本企業として紡いできた「良さ」と、楽器を主軸に置きながらライフスタイル提供企業としてグローバルな成功を収めてきたギブソンの「良さ」の双方を活かしていく。そのためのCMOとしてお声をかけてもらったことを嬉しく思いました。</p>

<p>ボーズ在籍時の後半、グローバルとローカルの双方の間に立って、苦しみながらも成長してきた経験を活かしたい、という気持ちになったのです。生み出すモノに対する愛情の深さ、真摯な姿勢という面からもボーズやクラランスのそれに通じます。「私でお役に立てるなら、ぜひとも」という気持ちでこの会社に来たのです。</p>

<div class="section">
<h4><span>［2］現在の社内での役割について教えてください</span></h4>

<p>ティアックは、確かな技術力と哲学を持ち、実直に最高品質のモノ作りに徹してきた会社です。質実剛健ともいえる企業イメージは、世界的にもブランドとして知られています。私の役割は、そうした「良さ」を維持しつつも、これまでマーケティング的なアクションをあまりとらずにきた風土の中に、基盤となるものを築くこと。より積極的にブランディングしていくための地盤を作り上げることにあります。</p>

<p>まずは過去の業績や経営理念をじっくり見つめるところからスタートし、その上でギブソン社が強く志向する「ライフスタイルへの貢献」や「お客様視点に立った価値創造」との融合も考えながら、新たなティアックの理念を体系化していく営みを進めてきました。</p>

<p>一方、社内的な「マーケティングへの期待値、理解度」がバラバラだったこともあり、古くからいる社員の皆さんとの意思疎通や話し合いの機会を増やしました。共通した理解と期待を持ちながら、皆でマーケティング・リテラシーを向上していけるような場も作っていきました。短期間ではありますけれども、着実にその成果は現れてきていると自負しています。</p>

但し、マーケティングという世界は、市場・競合環境、企業が迎えている状況や成長過程次第で求められる役割が大きく変わる世界でもあります。今後も、ティアックらしさを大切にしながら、この会社の「今」をしっかりと捉え、とるべきマーケティングのあり方を皆と共有しながら強化していく。それが私に課せられた使命であり、責任だと思っています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［3］小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう？</span></h4>

典型的なおてんば娘だったと思います（笑）。兄が2人いることもあり、小さい頃から男の子同然に外で飛び回って遊んでいました。スポーツ好きで、運動会ではリレーのアンカーを務めていることが自慢でしたし、中学ではバスケットボールの部活に熱中していました。ただ、こういうことを自分で言うのもなんですが（笑）、成績もなぜか良くて、「おてんばなくせに優等生」という感じでした。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［4］高校、大学時代はどのような学生でしたか？</span></h4>

<p><img alt="photo01.jpg" src="/industry/cxo/interview/teac/27589c423759067498d49f8d02f2fd6ff9ab5287.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

<p>高校でもバスケ部に入って、キャプテンもやりました。でも、それだけでは収まらなくて、サッカー部のマネージャーもしていましたし、チアリーダーもしていました。体育会的なことばかりではなく、競技カルタ、茶道サークル、バンド活動もしていました。学校自体は進学校でしたが、とにかくやりたいことは何でもやっていましたね。</p>

それでも大学進学の時には、「私はいったい何がいちばん好きなんだろう」と考えました。出した答えは「人間が好き」。人間科学部という学部のある数少ない大学である大阪大学へ進みました。そうはいっても、入学後は勉強ばかりでなく、相変わらず複数のサークルに入っていました。合気道、テニス、スキー、スキューバダイビング、バンド活動などなど（笑）。企画イベントサークルにも入っていたのですが、スポンサーを自分たちで探してきて交渉する、という広告会社的な経験もしていました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［5］ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか？　その理由についても教えてください</span></h4>

大学時代のサークルでの経験や、冒頭でお話ししたような経緯もあって、なんとなく広告の仕事に興味を持っていたのは事実です。けれども、どんな仕事でも実際にやってみなければ、それが本当に好きかどうかはわかりませんよね。私が広告の仕事、ひいてはマーケティングの領域で生きていこうと本気で決めたのは、やはり外資の広告代理店に入って実務を経験し、「楽しい」と実感できた時でした。<br />
</div>]]>
        
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    <title>横田 貴之 氏</title>
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    <published>2016-09-25T02:12:09Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:16:06Z</updated>

    <summary>［1］自己紹介をお願いします 大学時代の私は、ろくに授業にも出ず、体育会のボクシ...</summary>
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        <![CDATA[<h4><span>［1］自己紹介をお願いします</span></h4>

<p>大学時代の私は、ろくに授業にも出ず、体育会のボクシング部で練習ばかりしていました。ですから、就職活動をする時期が来ても、将来に対する思いは抽象的で、せいぜい「世界に出て仕事がしたい」という程度。たまたま父が長年、三井物産に勤めていたこともあり「世界で仕事といえば総合商社だろう」という発想から商社を中心に就職活動をしていきました。そうして入社したのが住友商事です。</p>

<p>内定をもらった当初の私は「営業マンになって世界各国を渡り歩く」ことをおぼろげながら夢見ていたわけですが、経理マンだった父から「ビジネスの基本はファイナンスだ。これを知らない者には、どんな事業だって理解できない」というアドバイスをもらい、経理部門を希望することにしました。</p>

<p>配属先は機械電機事業部門の経理です。任された業務は、例えば航空機リースの帳簿付けなど、リアルな事業に関わる非常に興味深いものでした。また、当時の日本では連結決算が始まったばかりでしたから、その基礎的な知識を吸収しながら、連結修正仕訳作成などもこなしていきました。</p>

<p>仕事自体はハードでしたが、ボクシング漬けだった私にとっては、見るもの聞くものすべてが知的な刺激にあふれていて、充実した気持ちで臨んでいくことができたんです。はじめは私自身「いずれ営業に異動する」つもりでいましたし、先輩や上司も私のことをそのようにとらえていたようなのですが、結局は経理畑をずっと歩むようになりました。</p>

<p>転機が訪れたのはインドにある住友商事の拠点に異動となった時です。待ち望んでいた海外での仕事ですし、肩書き的にもファイナンスのマネージャーとしての駐在でしたから、嬉しかったのは事実ですが、周囲と自分との違いを知るに至り、いろいろと考えさせられることになりました。</p>

<p>インドのオフィスでファイナンスチームの一員として働く現地メンバーは皆、CPA的な専門資格を取得し、自らのスキルによってキャリアを形成しようとしていましたが、マネージャーである私はこれといった専門スキルを持っていません。</p>

<p>今の自分は「住友商事の本社社員だから」ということで給料をもらっているに過ぎないのだと感じた途端、「キャリアを真剣に考えなければいけない。自分なりのキャリア･ゴールをきちんと考えよう」という気持ちになったわけです。これが転職のきっかけになりました。</p>

<p>会社を辞め、USCPA資格を取るための勉強をスタートする頃には「自分はいずれCFOになる」と誓っていました。そんな中で出会ったのが「ダウ・ケミカルがタックス・アナリストを募集している」という情報。</p>

<p>決して税務のエキスパートになりたいわけではなかったのですが「CFOを目指すのならば米国の企業が最適」だという認識がありましたし、「いずれはFP&A（ファイナンシャルプランニング＆アナリシス）的な仕事もできますか？」と質問したところ、「今すぐには無理でもチャンスはある」という答えが返ってきたことから入社を決めました。</p>

<p>ありがたいことに2年後にはカントリー･コントローラーの役割を担うことになり、経営上の意思決定を次々にしていく経験を得ました。その後の私にとって大きなものとはなったのですが、なりたかったのはやっぱりCFOです。</p>

<p><img alt="photo01.jpg" src="/interview/unilever_y/photo01.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></p>

<p>そのためにはFP&A関連の実務経験は不可欠。そう思ってきたのに、気がつけばすでに31歳。この会社でチャンスを待っているよりも、外に機会を求めようと考え始めたところ、GEグループが未経験者でもいいからFP&Aの担い手を探していることを知り、門をたたいたわけです。</p>

<p>おそらくファイナンスの仕事をまったく知らない者ならば入社することもできなかったでしょうけれど、幸い大規模企業のファイナンスの流れはそれまでの経験である程度理解していました。</p>

<p>また私よりも2つほど年下の優秀なアメリカ人上司がいましたので、彼に様々教わりながら、経営に密接に関わるFP&Aを経験していくことができました。GEならではのリーダーシップのあり方、結果というものへ徹底的にコミットする姿勢を学べたのも大きな収穫でした。</p>

<p>その後、順調に日本におけるCFOの役割も任され、念願がかなったかに思えたのですが、社内の体制が刷新されるのを機に、自分の気持ちを再確認してみたところ「もう少しだけ自分の力を試してみたい」という思いが残っていることに気づきました。</p>

<p>そんなタイミングでいただいたのが、ユニリーバ・ジャパンへの転職話。北東アジア地域のサプライチェーンに関わるビジネス・パートナーとしての職務であり、長年親しんだBtoBではなくBtoCの事業です。</p>

<p>経験ある領域ではなかったのですが、ちょうどチャレンジすることに意義を感じる心境でしたし、その頃ユニリーバが真の意味で1つになり、グローバルカンパニーとしての強みを高めていこうとしている状況を迎えていたため、GEグループで働いた経験で貢献できるのではないか、という気持ちもありました。</p>

<p>さらに、当時社長だった上垣内（上垣内猛氏。現 西友CEO）の人間味に魅力も感じ、入社を決意したのです。その後、日本でのCFOの役割を担うようになり、2012年から現職に就いています。</p>

<div class="section">
<h4><span>［2］現在の社内での役割について教えてください</span></h4>

いつ何が起こるかわからない世界でも、的確なパフォーマンス・マネージメントを行い、トップラインの結果を出していくことに、今の私は特に注力しています。とりわけリソース・アロケーションが重要性を増してきてもいます。それだけにCFOとしてもガバナンスやリスクマネージメントをファースト・プライオリティに置いて結果を出していかなければいけない。そう考えています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［3］小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう？</span></h4>

<p>小学校3年生の3学期まで、父の仕事の関係でカナダに住んでいました。ネイティブのカナダの少年同様に、アイスホッケーのスティックを持って学校に行き、時間を見つけては友だちとホッケーをしたりして遊ぶ普通の子どもでした。その後、いったんは帰国したのですが6年生の時にまた父の仕事の都合で南アフリカへ移住することになりました。</p>

向こうの中学に通う内、子どもなりに将来への不安を感じ始め、「いずれ家族と一緒に日本へ戻ってから苦労をするくらいならば、日本での高校入学のタイミングに合うように、早めに帰国して希望する高校に入れるように準備したい」という決意を親に話し、一足早く日本へ戻ってきました。そうして受験勉強をした結果、慶応義塾大学の附属高校へ入ることができました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［4］高校、大学時代はどのような学生でしたか？</span></h4>

<p>高校ではいわゆる応援団に入部しました。外国での生活が長かったこともあり「日本っぽくてカッコイイ」という感覚から入部したような気がしています。正直なところ、厳しい規律の中で苦労もしましたが、おかげで理不尽に耐える根性みたいなものは育むことができたと思います。</p>

<p>大学進学後も応援団を続ける道もありましたが、「今度は人の応援よりも、自分で何かをプレイしたい」という気持ちもあり、大学ではボクシング部に入部し、冒頭で紹介したように、授業そっちのけで没頭していきました。</p>

キャプテンも務めたのですが、本当の意味でのリーダーシップは発揮できていなかったと思います。「まずは自分が選手として結果を出すことがリーダーとして第一」という発想でいたので、実質的に部の運営は別の同級生にまかせていました。ただし、この現実を受けとめたことで、大きな学びにはなったと思っています。<br />
</div>]]>
        
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    <title>池側 千絵 氏</title>
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    <published>2016-09-24T17:16:17Z</published>
    <updated>2025-06-10T02:15:57Z</updated>

    <summary>［1］自己紹介をお願いします 新卒から今までずっと外資系企業でファイナンス業務に...</summary>
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        <![CDATA[<h4><span>［1］自己紹介をお願いします</span></h4>

<p>新卒から今までずっと外資系企業でファイナンス業務に携わっており、今は子会社のCFOをしています。どのような経緯でこの仕事をするようになったかをお話ししたいと思います。</p>

<p>私が大学に行くころは、まだ女性が企業で長く働き続けて管理職になることが、一般的ではありませんでした。事務職で何年か働いて寿退社、というのが普通でした。それで私も特に何の目標もなく大学に入り、とりたてて英文学が好きなわけでもないのに、まわりの女子が行くから文学部英文科に入ったわけです。</p>

<p>入学後にはESS（英語サークル）の活動が楽しくなり、英語でのディスカッションやディベートを楽しんでいましたが、3回生の時に一緒に海外旅行をした際に母から「思ったほど英語できないのね」と言われたこともあり、一念発起して大学を休学したうえで英国の語学学校へ留学することにしました。</p>

<p>なんとなく英語を勉強していた私に「日本では何を勉強しているの？」と聞いてくる人がいて「英文学だ」と答えると「仕事はなにをするの？」と聞かれて、初めて「英語だけでなく何かほかのことも勉強しなければ」と思うようになったのです。それで、ビジネス・アドミニストレーションのクラスがある語学学校を選び、簿記の勉強を始めました。</p>

<p>帰国後、大学に復学してからも簿記の学校へ通い、同時に英語も勉強をしていった結果、P&G入社時には帰国子女を除いた新入社員の中で、TOEICで一番になったことから入社式で代表を務めることにもなりました。この大学在学中の様々な経験が、その後の私にとって非常に大きかったと今でも思っています。</p>

<p>就職活動時には、日本でも雇用機会均等法が施行されていて、大企業や金融機関では女子総合職の採用を始めてはいたものの、まだまだ男女間の待遇差は歴然としているように見えました。そこで男女同給料という条件のもと、外資系企業を志望していき、入社したのがP&Gだったというわけです。</p>

<p>P&Gは当時の日本の大企業と違い職種別採用でした。当然のごとくマーケティング部門が一番人気の会社でファイナンス部門は比較的入りやすそう（笑）だったということもありますが、簿記を勉強していましたし、数字が得意だったこともあってファイナンスを志望しました。「結婚して子どもができても続けていきやすい職種かな」という思いもありました。</p>

<p>P&Gでは事業部門ごとにファイナンス専任者を置いていましたので、私もその担当者として複数のブランドを経験していくことになりました。日本の経理財務部門の場合、担当者はあくまでも実績の数字を管理する仕事が主になるようですが、P&Gで私が体験したのは少し違っていました。</p>

<p>マーケティング、購買、生産など各部署の人たちと一緒にプロジェクトチームにはいり、彼らが仕事をする上での数値的目標設定をし、どういう資金の使い方をすればよりよいリターンが得られるかを一緒に考えていくのが仕事で、非常に充実した気持ちで成長していくことができました。今思えば、グローバル企業で活躍する本来的なCFOの役割に通ずる仕事に携わることができたのです。</p>

<p>やがて日本支社全体の経営管理やアジアHQの予算管理の仕事も任された後、最初の転職をしたのですが、この時のテーマは「東京に行く」でした。兵庫県神戸市で生まれ育ち、大学も同志社で就職先も神戸のP&Gだった私は、関西にずっと住んでいたのですが、いつかは東京に出て働きたい、という希望を持っていました。</p>

<p>そんな時、業績を飛躍的に伸ばしていた日本マクドナルドからお声をかけていただき、フランチャイズ事業部門の財務部長となりました。この時も、数字の実績管理だけが任務ではなく、日本市場におけるフランチャイズ店の比率を一気に引き上げる、というテーマが最大のミッションでした。3年間でこのテーマの前半を達成した後、2度目の転職先に選んだのがレノボ・ジャパンでした。</p>

<p>「外資系企業の日本子会社でファイナンスのヘッドを任されたい」という希望は、ずっと膨らんでいました。そして、レノボからのCFOとしてのお招きにより、その希望をついに叶えることができました。約4年間の在籍中にいろいろな経験をさせていただき、とても充実していました。そんな中、3度目の転職を決意した背景にはいろいろな要素がありました。</p>

<p>1つは任せてもらえる裁量の部分。食品の領域は、グローバル企業ではあっても子会社にかなりの裁量が委ねられます。人が口にする物を生産して販売する以上、ローカルでの商品開発・製造をはじめとする経営の比重は当然高まります。同じ外資系企業の日本子会社でCFOを務めるならば、やはり裁量権の大きい場で活躍してみたい。そういう思いとケロッグからのお誘いとがフィットしたわけです。</p>

<p>もう1つは日本におけるシリアル食品市場がここへきて再び急成長していること。さらにもう1つは、そうした市場の動きの中で、以前P&Gで一緒に働いていた井上ゆかり社長が新社長に就任しており、「業績を倍にしましょう」と言ってくれたこと。以上のすべての要素が私にとって魅力となり、日本ケロッグへ入社することを決めました。</p>

<div class="section">
<h4><span>［2］現在の社内での役割について教えてください</span></h4>

<p><img alt="photo02.jpg" src="/interview/kellogg/photo02.jpg" width="200" height="160" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

<p>日本のシリアル食品市場はケロッグが育ててきたと言っても過言ではありませんが、今、再びその市場が大きく膨らんでいますし、その動きの中でライバル企業との競争も激化しています。ですから、井上社長が言う「業績を倍に」というのも実現可能な数字です。</p>

これほどダイナミックな目標があって、経営トップが一緒に実現しようと言ってくれているのですから、私としても非常にやりがいを感じています。私の役割はCFOという経営陣の１人として日本ケロッグを飛躍的に成長させることなのです。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［3］小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう？</span></h4>

<p>家の近くの公立校に通っていて、優等生でした。中学校では学級委員長や生徒会副会長などをしていました。当時の公立中学校では、たいてい学級委員長は男の子、副委員長が女の子というのがお決まりだったようですけれども、なぜか私は委員長になってしまいました。</p>

得票が多かったからそうなったのですが、別に「男の子には負けないわよ」と必死になったわけではありません（笑）。弟がいたこともあり、家ではプラモデルを作ったり、漫画やアニメに夢中になっていました。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［4］高校、大学時代はどのような学生でしたか？</span></h4>

<p>県立高校に入学してからは美術部で油絵を描いていました。でも、芸術って個性が大事ですよね。私の場合、見たままを描くのは得意でしたが、思い切り個性のある絵が描けなかったので、3年生で才能に見切りをつけました。一方でユースホステル同好会に所属していたので、長期休みには必ず同好会の友達と旅行に行っていました。</p>

大学でESSに入ったお話は冒頭でもしましたが、とにかく毎日のように英語でディベートやディスカッションをしていました。このサークルの仲間とは今も交流が盛んで、私の大きな糧になっています。<br />
</div>

<div class="section">
<h4><span>［5］ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか？　その理由についても教えてください</span></h4>

最初の自己紹介であらかたお話をしたように、英国への語学留学をきっかけに出会った簿記の勉強がスタート地点になりました。その後、P&Gが職種別採用を実施していて、ファイナンスを選択したことから、以後私はファイナンスの領域に軸足を置いて活動するようになりました。</div>]]>
        
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